無知と無能の間に

無知無能者、固人之所不免也

KeiKawakita氏とJiburi.comの協力隊ブログは読む価値がないと断言できる「たった一つの理由」:その3、本当に読みたい!たった一つのブログ記事とは

毎度毎度ですが、タイトルは釣りです。物事を1つの理由で片付けることなどできません。そのようなタイトルを付けているブログは何かごまかしがあるので、注意深く読みましょう。「読まない」という選択もアリです。

さて、前回、前々回と、宮﨑大輔氏(jiburi.com)、Kei Kawakita氏のブログを頻出名詞で分析してみました。結論を述べると、彼らのブログの中身は「自分語り」+「アフリエイト」であり、目的が「セルフブランディング」であるということが明らかになりました。

本当に読みたい!たった一つのブログ記事

彼らは、「協力隊での出来事をすべて、ぶっちゃけて記事にするよ」というノリでブログ運営しているように見えます。しかし、最も興味を持たれているある記事が掲載されていません。それは、

「協力隊派遣期間中にどれだけの収益がブログから上がったの?」

付け加えれば、

  • JICAから指導や注意はあったの?
  • 協力隊隊員時の収支計算書は具体的にどんなもの?

を書き加えて、公表してほしいな。今からでも遅くは無いぞ。公開しようぜ。ぜひ。ほらほら、君たちのロールモデルであるイケダハヤト大先生も「ブログの閲覧回数と報酬の関係。「収益早見表」を作ったよ。」とおっしゃられていらっしゃるのだぞ。

では、JICAの規定はブログからの収益はどう規定しているのか?

JICAと協力隊員の間で結ばれる合意書なるものがあるようだが、青年海外協力隊の合意書はなぜかJICAのサイトからは見つけれられない。シニアボランティアの合意書から引用する。シニアボランティアの私利に関する活動は以下のように規定されている。

(禁止行為)

第8条の3 乙は、派遣期間中、受入国の法令を遵守するとともに、同国内における政治、布教及び私利に関する一切の活動をしてはならない。この場合において、私利に関する活動とは、次に掲げるような行為を指す。

(1)乙自身の利益を得ることを目的として、商行為又は不動産、株式等の取引を行うこと。

(2)民間企業等に所属し、又は労務を提供し、対価として報酬を得ること。

(3)その他前二号に準ずる行為で、海外協力活動に支障を来すおそれがあると甲が判断すること。

さて、ブログや広告、外部への寄稿による収入について協力隊員はどのような主張をしているのか。以下、倉田慎之介という協力隊員が主張しているブログ記事を参考までにあげる。

この倉田慎之介氏の人物の主張は、「自己の利益ではなく、途上国を知ってもらうためのブログ運営であり、ブログ運営費を回収するための広告であり、問題なし」というスタンスだ。しかし、このスタンスを取るのであれば収入額と支出額の概算は提示すべきだし、そもそも本当に協力隊の活動にブログ運営が必要であれば、JICAか派遣された先が支出すべきである。

一見してもっともな説を提示しているようにみえる。しかし、自分本位の意見であり、単なる自己肯定であり、JICA等へ問合せをした形跡もない。後の記事に書こうと考えているが「現役隊員のブログ発信」も正当性根拠が怪しいと見ている。ただ、倉田の主張が通るかどうかは判断しないが、このような「外部の意見を参照することなく、自分本位の意見を提示して、自分を正当化する」というのが、この手の連中の共通した態度である。「自分で自分を吸い込む」「自己参照」とはこういうことだ。

さて、倉田慎之介氏はこのようなことも言っている。

僕はコストの埋め合わせが目的なので、コスト以上の収益は当然すべて寄付します。

「だったら、損益計算書を出して、どこにどれだけ寄付したのか公開しろよ」と述べておく。2017年5月7日現在、氏は帰国済み。且つ、そのような記事は無いことは指摘しておく。

彼らは何を書いていないのか

煽りはこれくらいにしておこう。

何度も繰り返しているが、彼らブログで自分を振りまいている自分探しの青年海外協力隊の隊員は「ポストモダン」の申し子だ。その昔、栗本慎一郎が人間の本質について「パンツを履いたサル」という刺激的な本を出した。つまるところ、栗本は「人間とは、自分の欲望を隠す技術を持ったサル(動物)に過ぎない」と主張したのだ。栗本の主張に従うと、自身の欲望の部分を人前では隠し、「いつ、どこでパンツを脱ぎ捨てるのか」という部分を制度化したのが人間社会の核心ということになる。

であれば「いつ、どこでパンツを脱ぎ捨てるのか」という部分、つまり人が「何を意図的に主張していないのか」を探ることが、その人が秘密として隠しておきたい根源的な欲望であるとも言える。

宮﨑大輔氏とKei Kawakita氏のブログであれば「ブログの中で何が書かれていないのか」という部分が、彼らの「パンツの中」を表している。つまり宮﨑大輔氏(jiburi.com)、Kei Kawakita氏(あるいは以前に紹介した協力隊員のブログ)で書かれていないものこそ、彼らが「人から見られたくないと思っている欲望」であるということである。私は「金」と「本来注力すべき活動」のことを疑っているが、恐らく他にもあるのだろう。なにせ「人からよく見られたい」というのが彼らの動機でもあるからだ。

参考

KeiKawakita氏とJiburi.comの協力隊ブログは読む価値がないと断言できる「たった一つの理由」:その2、Kei Kawakita氏のブログ記事を解析してみる

賢明なる諸兄はお気づきでしょうが、タイトルは釣りです。宮﨑大輔氏(Jiburi.com)、Kei Kawakita氏のエントリータイトルをパクってみました。すいません。(前回の解析記事と同じなので中略)。両名のブログの中身の無い記事を読んで主観的評価を下したところで致しか無い。なので、ミンチになるまで砕いて分析することにしました。

解析対象

keikawakita.comにあるエントリー記事について、2017年4月9日現在のエントリー記事をすべて(468件)をすべてスクレイピングし、mecabchasenを使って字句解析を実施した。もともとは、パクリ記事解析用に用意していた自作コードを改造したものである。

なお、keikawakita氏は、2015年7月からネパールに派遣されている。2017年5月2日現在も滞在している模様。職種は不明だが、プロフィール欄には「ブロガー」とあるので、職種はブロガーなんでしょうし、実際、ブログを書きにネパールに行っているので。

ブログ名について

「僕はネパールを変えることができない。」というブログ名は、「僕たちは世界を変えることができない。」というカンボジアに学校を建てる小説を映画化した作品から、もってきたということらしい。パクリと断ずることは避けよう。しかし、SEO対策だろうね。

タイトルにおける頻出名詞

前提として、mecabchasenを使い、デフォルト辞書と、協力隊用語など50語を加えたユーザー定義辞書を使い字句解析を行い、使用されている名詞をすべてピックアップし、カウンドした。また、「ここ」のような指示代名詞、「こと」のような非自立名詞、「年」のような助数詞、記号はカウント対象から除外した。

名詞 出現数
ネパール 97
67
青年海外協力隊 65
留学 64
理由 63
海外 46
41
紹介 38
おすすめ 36

わかってたことなんだけど、協力隊の活動について書かれた記事は少数であり、大半は「本、動画、テレビ、自己啓発」の紹介ブログだ。「選」「紹介」「おすすめ」が、115件。全体の約1/4が、そのような紹介記事だということだ。

もうこれだけで、このブログの運営方針が読んで取れるというものだ。ブログで、協力隊と強引に結びつけたコンテンツ類を紹介して、アフリエイトを稼ぐということでしょうね。このブログを読んで、協力隊について分かることなんてあるんでしょうかね。私は、真剣に読む気はまったくないので、わかりません。

記事内における頻出名詞

タイトルだけ分析しただけでは、わからないこともあるので、記事の中身も同様に字句解析を行ってみた。先と同様に、mecabchasenを使い、デフォルト辞書と、協力隊用語など50語を加えたユーザー定義辞書を使い字句解析を行い、使用されている名詞をすべてピックアップし、カウンドした。また、「ここ」のような指示代名詞、「こと」のような非自立名詞、「年」のような助数詞、記号はカウント対象から除外した。

総名詞数は、約18.1万語。まず、上位を示す。

名詞 出現数
自分 3574
3228
ネパール 2261
ブログ 1433
日本 1329
1277
人生 1132
留学 1124
1112
海外 933
仕事 898
青年海外協力隊 781
紹介 735
記事 728
活動 658
おすすめ 566
わけ 564
389
キャラメル 213
僕ら 192
ブロガー 191

「自分」「僕」がワン・ツー・フィニッシュ。賢明なる諸兄は納得でしょうが、圧巻ですな。解析しておいてなんなのですが、当初の頻出数の予想を大きく上回った。全名詞で実に4.5%が「自分、僕、私、わたし、僕ら」と「自分のこと」を指し示す名詞だった。自己言及がひどく多いなと思った宮﨑氏のブログ記事と比較しても、実に2倍に及ぶ。要するに、このブログは「自分のことが書かれており」「自分をアピールするための記事」だけが存在するということだ。

「留学」という語が1124語。氏は過去に留学経験があり、ブログ記事のエントリーを水増しするために、ネタの使い回しをしているということだ。また「仕事」というのが898語である。ここで「仕事」と使っている記事は、自分の活動のことでは無く、過去に氏が読んだという「自己啓発本」の紹介がメインである。「自己啓発本中毒」という言葉があったが、氏は自ら中毒患者であり、ブログの想定読者を、自身と同じような中毒患者予備軍にしているということだ。

「キャラメル」というのは、氏が協力しているという現地女性たちによる活動である。これが213語。これと比較して、ネパール(2261語)」とか「青年海外協力隊(781語)」という単語の出現数はどう考えればよいのか。「ブログ(1433)」「記事(728)」「紹介(735)」「おすすめ(566)」「わけ(564)」という名詞数と比較してどう考えればよいのか。「活動(658)」という単語より多く出現しているというデータは、何を物語るのか。

ここから「ブログのテーマは『自分』」「ブログを書くダシとして、協力隊とネパールを使っている」と読み取った。これらのデータからkeikawakita氏をどう見るかは、賢明なる諸兄に任せることとする。

そして、感性の類を示す名詞の出現数は以下の通り。

名詞 出現数
好き 442
感じ 361
気持ち 334
幸せ 319
嫌い 59
号泣 15
好き嫌い 10
大嫌い 7

「何を感じたかを示すのは悪くない?」そうだろうか。協力隊員として活動し、それを取り巻く人々の感情を調べたのであれば、必要な記述だ。しかし、「自分自身がどう感じたかという表明」なら問題がある。そこで思考停止に陥る可能性が高いからであり、実際、思考停止に陥っている。

JICAよりAmazonGoogleTwitter

JICAという固有名詞が111語。それに比べて、ある特定の名詞の出現数を比較してみる。

名詞 出現数
1277
出版 374
Kindle 273
Amazon 167
Google 160
クリック 138
日本食 135
文庫 125
映画 121
ラーメン 121
Twitter 114
JICA 111
ブックス 103
楽天 96
ダウンロード 76
テレビ 70
PV 63
ダイヤモンド社 59
講談社 56
動画 57
マンガ (漫画) 42
寿司 36
そば 27
小学館 22
チケット 22
ドラマ 22
ポケモン 22
ネパールガネーシャ 15

「日本食」が135語、「ラーメン」という言葉が121語もでてくるが、ネパールの日本食やラーメンの話ではない。過半がビジネス本にでてくる海外での日本食、ラーメン屋の話を引用しているものだ。「寿司」「そば」も同様。なぜか、コロンビアの日本食を熱く語っている。なぜか。それはPVが欲しいからさ。

「ネパールガネーシャ」は、氏が「ネパールなのに下北沢並みにオシャレな土産店」、「このブログでも何度も出てきてますが、超オシャレなお土産店なんです」とまで言い切っている。ブログでも何度という店が15語。記事数で6。よく紹介している店を含む記事の割合が6/468。味わい深い。

分かっていることだが、明らかな傾向がみてとれる。コメントするのであれば、協力隊の活動より「本や映画や動画の紹介」であり、特に「自己啓発本の紹介」が主たるものであり、「アフリエイト目的」というブログの運営方針だと断ずることができる。

カウンターパートより西野、え、西野って誰?

次に、人名や肩書に属するものを抜き出してみた。

名詞 出現数
隊員 263
ちきりん 125
山口絵理子 75
宮崎 65
西野 65
アドラー (アルフレッド・アドラー) 27
はあちゅう (伊藤春香) 27
川崎宗則 (ムネリン) 25
同僚 22
本田圭佑 17
葉田甲太 16
稲盛和夫 14
イチロー 13
為末大 11
堀江貴文 11
本田健 9
柳井正 9
調整員 8
カウンターパート 7
松下幸之助 5
イケダハヤト 3

65回登場している「宮崎」という人名は、kei kawakita氏が自身の協力隊ブロガー事業を開始する際に、ロールモデルにした人物。(※注、地名の「宮崎」は除外している。正確には「宮崎」ではなく「宮﨑」。間違っているのはkei kawakita氏のミスであるという点は指摘しておく。しかし尊敬しているという人物の記述を間違えるかね)。前回、弊ブログで解析対象にした宮﨑大輔氏(jiburi.com)のことだ。アドラーは、自己啓発中毒なら一度はでてくるアドラー心理学の話を引っ張ってきているのだ。そして「はあちゅう」だよ。「はあちゅう」。ノーコメントにする。でないと、罵る言葉しか出てこないからだ。

山口絵理子はマザーハウスの社長のこと。バングラデシュでバッグを作っている。なるほどね。そして、京セラの「稲盛和夫」、ユニクロの「柳井正」、パナソニックの「松下幸之助」と創業者が並ぶ。松下幸之助の創業した企業に就職して、配属が不満で辞めて、協力隊に参加してブログを書くネタにしているとか。自分で途上国でビジネスを始めたいという夢を語るわりに、夢をブログで語ることに集中しているのはどう理解すればよいのだろう。

では、西野って誰だ?ブログのエントリー記事を読んでみると、お笑い芸人のキングコング西野のことのようだ。「キングコング西野がネパールに来ていたのか」と勘違いしそうになった。もちろん西野はネパールには来ていない。単に、このKei Kawakitaがブログ記事を書くネタとして何度も何度も引っ張り出してきたということだ。「同僚」とか「カウンターパート」、「調整員」よりも「宮崎」「西野」が数倍頻出しているというのが、Kei Kawakita氏の「活動よりブログ」という本性を示している。本性というより、職業としてブロガーを名乗っているのだから当然なのか。

どうかしてるぜ!!!

よくいるタイプの海外指向

氏はメーカーに就職して海外勤務を志望したのにも関わらず、人事に配属されたことに不満があったのだそうだ。よく聞く話ではある。氏のブログからは「海外勤務でなにかを成し遂げたいのではない。『海外勤務している自分』に酔いしれたい」というのがにじみ出ている。そういうタイプなら青年海外協力隊はいいよね。

前回の解析対象であった宮﨑氏のブログ(Jiburi.com)は、それでも、アリバイ作りとして見せかけの活動をブログに記事としてあげていた。しかし、Kei Kawakita氏の場合は、自己啓発のキュレーションに特化させている。しかも、そのKindleで100冊読んだという知識を現地で試行錯誤したという形跡は皆無である。だって、ブログは「紹介」に特化され、その理由について協力隊員経験による裏付けがほとんど示されていないからだ。

マネージメント層が、「海外で働いている自分に酔いしれて自分のためのブログを書いている人間を、本人の意思を認めて海外勤務させる」なんてことがあるだろうか。自分のことばかり書いていると指摘したが、彼らは「自分が回りからどう見られているのか」という点について、どれだけ自覚しているのだろうか。

Kei Kawakita氏の宮﨑大輔評

さて、Kei Kawakita氏は宮﨑大輔氏を尊敬している。連中の属する界隈の用語で「ロールモデル」という奴だ。Kei Kawakita氏は以下のようにブログに書いている。

僕は宮崎さんの活動を生で見たことはありません。でも、「結果」にこだわり一生懸命活動をされていたことはブログを見れば容易に想像できます。

宮﨑大輔氏のブログを「分析」した私には「結果にこだわり一生懸命活動していた」とは容易に想像できなかった。無理。無理無理無理無理、カタツムリ。

もう一度、よく読もう。「『結果』にこだわり」とあるが、何の結果なのかは書いていない。ブログを使った「セルフブランディングの結果」と解釈すれば、氏がこのような歯の浮くようなことを書くのもうなずける。確かにブログ作成は一生懸命活動していた。「年に200件の記事更新」を目標にして、達成しているのだから。

※以降はまったくの想像であることをお断りする。

Kei Kawakita氏は、宮﨑大輔氏のブログを読んで、「これは行ける」と踏んだはずだ。宮﨑大輔氏のブログは、このKei Kawakita氏のブログよりも活動に類するエントリーも見受けられたが、Kei Kawakita氏のブログエントリーは、より宣伝向けに洗練されている。自身の活動に関するものは圧倒的に少なく、「アリバイ作り」として機能しているのみである。

これは邪推だろうか。揚げ足取りだろうか。本人たちの反論を求む。

お前が言うな

「税金の無駄。青年海外協力隊で任期短縮して帰国すべき3つの隊員」というタイトルの記事をエントリーしている。以下、抜粋引用する。

僕ら青年海外協力隊は日本国民の税金で派遣されています。 この事実は、協力隊員として絶対に忘れちゃいけないこと。そんな重要なことを忘れ、税金で来ているという意識がない隊員は帰った方がいい。

あきれた。人のことをとやかく言う前に、まず自分の行動を見直そうという意識が皆無であるということを示している。

まとめ

  • keikawakita氏は協力隊活動をブログ記事作成のために行っている
  • ブログ記事の中身は「自分語り」と「宣伝」
  • 自己啓発のようななものは「コピペ」。なぜなら自分で具体的に実施した記述が無いから

要するに、「一読する必要すらありません」「リンクをクリックする必要もありません」「検索結果からURLを除外設定することをお勧めします」ということです。

「もともと相談に乗るのは好きなので大歓迎です!」だそうです。では、お尋ねしたいのですが、上記のようなブログを書き綴っている人物に何を相談すべきでしょうかね。

そもそもブログを書くという行為はなんだろう?

引用するよ、何度でも。

詩人の荒川洋治はブログを書くことについて以下のように述べていた。

 ブログという自己表現は危険である。ブログは、人に見られている、人に読まれているということを前提に書いている。ブログは自分のことをどんどん書ける。どんどん書ける、たくさんの言葉を使っているということは、逆に「自分が無い」という状態でもある。「自分はあるんだ」「いま、自分のことを書いている」と書き手は思っているかもしれないが、実は希薄だったりする。自分が無いからどんどん書けるといえる。

ここで解析したようにKei Kawakita氏のブログは、まさに「自分のこと」のみを書いている。しかも自分の読んだ「自己啓発本」の紹介が主。「カウンターパート」や「同僚」より「キングコング西野」のことを熱心に書いているんだぜ。まったく。冒頭で理由なんか分かり得ないとしましたが、あえて、Kei Kawakitaのブログを読む価値が無い理由を挙げよというのであれば、「自分が無い」状態の人が「自分のこと」を書いているからです。これは上述の解析結果から、私が導き出したものです。当然、反論はあるでしょう。

もうひとつ、マックス・ウェーバーの言葉も引用する。

学問領域で「個性」をもつものは、その個性ではなくて、その仕事(ザッへ)に仕える人のみである。しかも、このことたるや、なにも学問の領域にばかり限ったことではない。芸術家でも、自分の仕事(ザッへ)に仕えるかわりになにかほかのことに手を出した人には、われわれの知る限り偉大な芸術家は存在しないのである。

―――マックス・ウェーバー「職業としての学問」岩波文庫版P.27

宮﨑氏はブログのためにボランティア活動していると述べたが、Kei Kawakita氏は活動が余暇であって、途上国でブログを書くことが、氏の仕事(ザッへ)だということだ。プロフィールに「職業:ブロガー」と書いているので。しかし、書くネタが足りていないので、人の作ったコンテンツを単にキュレーションしているだけだ。なんなんだろうね。

宮﨑大輔氏(Jiburi.com)とKei Kawakita氏のブログ解析結果

さて、宮﨑大輔氏(Jiburi.com)、Kei Kawakita氏のブログを解析したところ、そこに書かれているのは「自分」であるということが理解できた。「自分」「自分」「自分」「僕」「自分」と自分ばかり書いている。「自分」に「自分」を吸い込んで、自己を肥大化させているというわけだ。で、最後はイソップ童話のカエルみたいに破裂すると良い。

参考

KeiKawakita氏とJiburi.comの協力隊ブログは読む価値がないと断言できる「たった一つの理由」:その1、宮﨑大輔氏(jiburi.com)のブログ記事を解析してみる

賢明なる諸兄はお気づきでしょうが、タイトルは釣りです。宮﨑大輔氏(jiburi.com)、Kei Kawakita氏のエントリータイトルをパクってみました。すいません。ただ彼らブロガー連中が「キャッチーなタイトルつけるべし」などのハウツーを実践しているため、「不肖、私が〇〇をぶった切る」「・・・が必要なたった3つの理由」「サルでもわかる〇〇」といった、わかりやすくて、単純化していて、とっつきやすくて、表層的で、薄っぺらくて、安易な情報が大量に撒き散らされることになったのは、賢明なる皆様が感じるところでしょう。

さて宮﨑大輔氏Kei Kawakita氏などのブロガー連中がよく使う「・・・がわかるたったN個の理由」という意見表明は、「高慢」「野蛮」であり「暴力」ですらありえます。本当に、「たったのN個の理由」で協力隊の活動は分析できてしまうものなのでしょうか?さらにいえば、自分たちも「たったのN個の理由」で人から分析されてしまう可能性を、どの程度、彼らの頭の中で考慮しているのでしょう。「自分は自分の周囲環境について、わかりやすいし、有能だからN個のワードで理解できるが、他者は自分より愚かであるはずだから、繊細で感性豊かで知的な自分をたったN個のワードで理解できるはずがない」という考えの方達なんですかね。

宮﨑大輔氏(jiburi.com)、Kei Kawakita氏が、いくら中身のない記事を書き飛ばしているからといって、1つ、3つ、5つ、10で理由を推定し、単純化して理解できるような能力は、残念ながら、私は持ち合わせていない。従って、宮﨑大輔氏(jiburi.com)、Kei Kawakita氏を「ぶった切って」2つにしたところで何もわからなし、中身の無い記事を読んで主観的評価を下したところで致しか無い。なので、ミンチになるまで砕いて分析することにした。

ブログ名の由来についての推察

解析結果を示すその前に、表題の推察を加えておく。恐らくだが、スタジオジブリの「ジブリ」と宮崎駿の「宮崎」で検索したときに、偶発的に検索エンジンが上位に表示し、クリックする奴がいれば良いとでも考えたのか。それとも覚えやすいからという理由なのでしょうか。要するに、コバンザメ戦略。とはいえ、本人が、何も述べていないので、推論の域は脱していない。けれども、そんなに外した推論でもないはずだ。いずれにせよ、氏の行動原理は「ドメインを取得したときから、ブログを育てることを最優先にやってきた」と指摘できる。

解析対象

jiburi.comにあるエントリー記事について、2017年4月16日現在、「青年海外協力隊」にカテゴライズされたエントリー記事をすべて(285件)をすべてスクレイピングし、mecabchasenを使って字句解析を行った。もともとは、パクリ記事解析用に用意していた自作コードを改造したものである。

なお、宮﨑大輔氏は2013年7月から2015年6月まで、中米パナマへ農業技術指導として派遣されている。

タイトルにおける頻出名詞

前提として、mecabchasenを使い、デフォルト辞書と、協力隊用語など50語を加えたユーザー定義辞書を使い字句解析を行った。また、「ここ」のような指示代名詞、「こと」のような非自立名詞、「年」のような助数詞、記号はカウント対象から除外した。

名詞 出現数
青年海外協力隊 173
ボランティア 50
活動 43
日本 38
パナマ 38
帰国 33
JICA 32
隊員 26
途上国 26
中南米 25
調査 21
参加 21
訓練 21
派遣 18
海外 17
野菜栽培 17

予め書いておくと、氏の職種は「野菜栽培」である。つまり「野菜栽培」は17/285の比率でしか、ブログタイトルに登場していないことになる。青年海外協力隊が173/285であり、全体の60%に相当する。考察するまでもないが、これまで弊ブログで紹介してきた青年海外協力隊隊員と同じく、青年海外協力隊を評論しているのだ。このブログは。これだけでも、氏のブログを読む必要がないと言える。次。

記事全文における頻出名詞

記事(285件)の全文の頻出名詞をピックアップしてみた。名詞総数は約13.7万。

名詞 出現数
青年海外協力隊 2683
活動 1869
ぼく 1603
日本 1516
ボランティア 1145
パナマ 1143
868
派遣 754
帰国 725
隊員 652
参加 633
農業 630
訓練 615
協力隊 566
参考 566
ブログ 547
子供 524
学校 523
途上国 520
JICA 516
村人 508
協力 507
JICA 490
国際 482
記事 476
自分 475

ここでも「青年海外協力隊」の比率がぶっちぎり。そして注目すべきは「ぼく」「」「自分」という単語の数の多さである。その数「2946」。全名詞中、2.1%が「自分」であった。私小説と言って良いレベルである。要するに氏のブログには「自分語り」の記事がならんでいるということだ。これだけでなぜそのようなことが分かるか。次の表をご覧頂きたい。

名詞 出現数
カウンターパート 163
Amazon 163
カニャサス 150
同僚 137
旅行 123
Kindle 120
ホストファミリー 65
ドルトムント 12
調整員 11

協力隊の隊員が直接仕事のやりとりをする現地側のパートナーのことを「カウンターパート」と呼ぶらしいのだが、これが「Amazon」と同数。「カニャサス」というのは氏が主に活動していた地名だが、「Amazon」より出現数が少ない。とても興味深い。JICAの現地での隊員の世話係を「調整員」というらしいが、「ドルトムント」より少ない。興味深いことだ。

それはさておき、「カウンターパート」「同僚」「調整員」という名詞に対し、「自分」を指す名詞が2946であるのと比較すれば、圧倒的に、桁違いに少ない。これは氏のブログが「自分語り」ブログであると言える証左であり、「まともに活動していなかった」と、断言できる。

なぜ断言できるか。自分の活動を客観的に分析したものを紹介する意思があれば、どうしたって自分を取り巻く環境をよく観察する必要がある。自分を取り巻いている人、物、現象、事象、環境を説明するための言葉が書かれているはずだ。そして、活動を共有していたはずの人物の、発言や行動が記述されているはずで、そのような名詞の登場頻度が、「自分」より多くなるはずである。例えば、大学のレポートや論文で「自分」の登場頻度が2.0%を超えることなどありえるだろうか。

ブログ記事から散見できる協力隊活動とブログ記事作成の優先順位

宮﨑大輔氏は、パナマ派遣中の年初に以下のような目標を設定している。

ブログもfacebookページも更新、200回更新する!

さらに「2014年に買って良かったもの5選」なるブログ記事をアップしている。それだけでも氏の「ブログ運営方針」を見て取れる。買ったものを協力隊活動期間中にブログ記事で紹介するのが、さらに、何を挙げているかいえば、以下の通り。

青年海外協力隊として途上国暮らしを始めた2014年に買って良かったもの5選は、以下の通りである。

1.タブレットNexus7

2.ポケットWi-Fi

3.単焦点レンズ

4.登山靴

5.マチェテと呼ばれる山刀

上位3つはブログ作成のために購入したもの。純粋に農業に関するものは「山刀」だけだ。要するに「農業」より「ブログ」、そして「自分」ということを宮﨑大輔氏は暗に「表明している」と捉えるべきだろう。

任期修了後、一年半後にパナマに戻ったそうなのだ

結論をいえば、ここでも「自分」「自分」「自分」。以下、氏のブログから引用する。この一文が全てを物語っている。

ぼくが居なくなったことで元に戻ったこと消えたこともあったし、消えていなかったこと残ったこともあったと自分の目で確認できた。

詳細は省くが、要するに2年間での自分の活動について、それが「残ったか否か」だけを確認しに戻ったということだ。「でも自腹で金を払って偉いじゃない。批判するなんて間違っている」。本当にそういえるのか。奴はそのような反響・・・「自分への賞賛」があることを見通して戻ったのではないのか。

この記事からわかることは「自分のやったことが残っているかどうか」が注目ポイントで「反省」がないということ。何度でも書く、この人には、「反省する」「見直す」「フィードバックする」という考え方は無い。信州大学の大学院まで進学しているようだが、そこで何を学んだのだろか。少なくとも高等教育では、仮説を立てて、実施して、検証し、フィードバックするというプロセスを教えているはずである。この人は「実施」だけ。そしてそれが残ったかどうかだけが着目点だということを自白している。なぜ現地まで行ったのに「なぜ上手く行かない」「なぜ上手く行った」という作業や思考をしないのか?奴にとっては、必要無いからだ。

農業関連の名詞出現数を示しておく。

名詞 出現数
野菜栽培 256
栽培 316
農家 137
131
127
農業技師 96
有機 86
適正技術 7

ここで、「適正技術」について補足しておく。なぜこの名詞に注目したかといえば「青年海外協力隊の最終目標はたった1つの適正技術を残すこと」と氏は宣言しているからだ。これを確認するために氏はパナマに帰国している建前になっている。しかし、ブログ内からは7回しか出現していない。しかも、過去エントリーへのリンクを張っているだけな場合も含んでいるので、実際には3回程度である。「最終目標」として掲げた「適正技術」がブログ内から3回しか現れないというのが、氏の本音である。それは、氏のブログが既に述べたように「自分」でうめつくされていることで分かる。自分ばかりを見ていて、現地なるものをまったく見ていないわけで、なにが「適正技術」かなどという試行錯誤などしていない。つまり「自分をよく見せたい」という願望のために「適正技術」という言葉を利用したということだ。

これも「自分を探し」に一年半後にパナマに戻ったと解釈すれば、記述内容を理解することができる。要するにJiburi.comとは「自分の、自分による、自分のためのブログ作成」であり、そのために青年海外協力隊制度を利用したと言える。農業コンサルタントを自称しているが、片腹痛いとはこのことだ。プロセスを見直せない奴にコンサルが務まると言えるのか。恥を知れと言いたい。

ノマドって?

ノマド」。意識高い系のあの連中が使うため、手垢のついた言葉だ。要するに「物や場所に執着することなく、都度、自由に気ままに移動して生活する」ということを指している。そのような生き方は否定はしない。しかし、だ。宮崎氏は何でもかんでも手を出しては、反省もなく、見境もなく、次の行動に移行する習性があるようだ。これでは、「ノマド」ではなく、「イナゴ」だよ「イナゴ」。誤解しないように行っておくが、私は君が害虫だとは言わない、イナゴも生存している以上、生態系に組み込まれたものであるから。であるので、氏のような人物には「ノマドイナゴ」という称号で呼ぶことにしよう。幸せの青い鳥を追いかけるイナゴ。

まとめ

  • 宮﨑大輔氏は、ブログを書くネタとして協力隊員になった
  • ブログ内容は、自分のことが書かれている。常に「自分」。自分の感性なるものに酔っ払っているよくいる人。
  • イチゴコンサルティングは、大学院で学んだ範囲(自分の資金でリスクを取って栽培した経験はない)
  • 自分をブログでアピールして、ブランディング。それを換金するビジネスモデルを2017年現在も実施中
  • 本業は、ノマドイナゴのWebライター。
  • あるいは幸せの青い鳥を追いかけるイナゴ

宮崎氏はインタビューで協力隊になることに関して「いや、それが全然興味なくて。どちらかというと嫌いぐらいでした」と告白している。また自身のブログで、協力隊員になるために、「本当は『村落開発普及員』で応募したかったが、確実に合格するために『農業』を使った」と告白している。要するに、本人も「ブログを書くネタとして、協力隊員を利用した」ことを認めている。

もう一度書くが「イチゴコンサルティングは、大学院で学んだ範囲。自分の資金でリスクを取って栽培した経験はない」ということ。農業コンサルティングなんて自称だよ自称。これは「協力隊制度」を冒涜しているし、「農業」も冒涜している行為だ

そもそもブログを書くという行為はなんだろう?

引用するよ、何度でも。

詩人の荒川洋治はブログを書くことについて以下のように述べていた。

 ブログという自己表現は危険である。ブログは、人に見られている、人に読まれているということを前提に書いている。ブログは自分のことをどんどん書ける。どんどん書ける、たくさんの言葉を使っているということは、逆に「自分が無い」という状態でもある。「自分はあるんだ」「いま、自分のことを書いている」と書き手は思っているかもしれないが、実は希薄だったりする。自分が無いからどんどん書けるといえる。

もうひとつ、マックス・ウェーバーの言葉も引用する。

学問領域で「個性」をもつものは、その個性ではなくて、その仕事(ザッへ)に仕える人のみである。しかも、このことたるや、なにも学問の領域にばかり限ったことではない。芸術家でも、自分の仕事(ザッへ)に仕えるかわりになにかほかのことに手を出した人には、われわれの知る限り偉大な芸術家は存在しないのである。

―――マックス・ウェーバー「職業としての学問」岩波文庫版P.27

ブログのためにボランティア活動していた協力隊員(宮﨑大輔、お前のことだぞ!)は、仕事(ザッへ)に仕えていると言えるですかね?氏のその後の活動をみると、「何でもかんでも手を出しては、反省もなく、見境もなく、次の行動に移行するイナゴ」と私は評しましたが、本人はどう考えているのでしょうかね。

参考

キャズムに落ちて

さて、ものづくり女性起業家なる者が建前の上で経営しているという「UPQ」が設計したという液晶モニタが仕様を満たしていなかったと発表した。知る人は知っているが、UPQが出している製品は事実上CEREVOという会社が回しており、UPQCEREVOに資金を提供しているのはDMMだ。

岩佐琢磨とは何者なのか

CEREVOの創業者で現社長。ネットで公開されている経歴によると2003年から松下電器産業(現パナソニック)でネット家電のシステム側の企画開発をやっていたとのことで、以下のような感慨を持ち、起業に至ったらしい。

大手企業にはつくりたくてもつくれない製品がある――。大手家電メーカーに勤務したことで、その原理原則を知った

第164回 株式会社Cerevo 岩佐琢磨2 Dream Gate

そして出てきたのはネット上に写真をアップロードできるデジタルカメラCEREVO CAM」。実はこの製品発表に行ったことがある。すでにiPhoneが登場していて、「なんで今更?」という感があった。数千台を販売したというが、私はその数値を信用していないし、シリアル番号から類推すると販売台数は数百台レベルだと考えている。それは、良いが、その後も潰れずにいるのに驚いている。

岩佐琢磨の話の重みの無さには、毎度毎度、「この人は本当にパナソニックの人なの?」と思うことがある。製品設計とネット企画では学んだことが違うのだろうが、それにしても本当に家電メーカー勤務だったのか?あるいは「大手企業にはつくりたくてもつくれない製品がある」という感慨は、パナソニックの家電設計の全否定という意味だったのだろうか?

メーカーはノリでも運営できる

以前、UPQ製といわれるCEREVOが形式的に設計した(実態はOEM)スマートフォンが技適を通していなかったということをやっている。この件について、やはりDMMに寄生しているベンチャーメーカーの関係者に聞いた所、以下のようなコメントを頂いた。ここに披露しておこう。

あれは、野球でいえばイレギュラーバウンドによるセカンドエラーみたいなもの

びっくり、耳を疑った。要するに、CEREVO(およびUPQ)のスタンスは「アクシデント(不運)であって、ミスじゃない」ということらしい。ミスのレベルは確かに低いが、Do-Checkが仕事の中に割り当てられていないということを吐露したようなもので、組織構造の欠陥であるにも関わらず、「アクシデント」と認識していることだ。

そして、今回は、入手先製品の設計仕様の確認を怠ったという基本的なミスだ。岩佐の出身であるパナソニックで同じことを起こせば、担当責任者は降格・左遷ものだと思うぞ。でも、本人たちはまた「アクシデント」扱いにするのだろう。

それでも岩佐琢磨氏が「日本の家電設計の全否定」という主張の実践をしたまでというのであれば、合点がいく。アナーキーだね。俺は、彼らの製品は買わないけど。

まとめ

UPQCEREVOもケツ持ちにDMMがあるので、これからも何の反省もすることなく、あぜ道を行くのだろう。それにしてもDMMはまだ支援つづけるのですかね。DMMにとっては、悲願の株式上場へ向けてダークサイド企業からクリーンなイメージを作りたいからなのか。であれば、もう少し人集めを抜本的に考えなおしたほうが良いのではないのか。やまもといちろうとか、岩佐琢磨とか、口だけ番長の半端モンばかりが集まってくるのは、自業自得なんですかね。大きなお世話ですね。

そして、俺も、私も、岩佐琢磨UPQのものづくり女性起業家に続きたいと思っているそこのアナタ!なれる道はDMMが用意してくれてますよ。「亀チョク」という制度だ。みんなで応募してDMMにたかろう。

参考

2人はチキンレーサー

朝鮮半島が緊迫してきているので、整理しておく。

これまでの経過

  • 4/7 - 米中首脳会談前日に当たるこの日に、北朝鮮がミサイル発射
  • 4/9 - 米海軍はフィリピン付近で訓練中の空母カールビンソンを朝鮮半島近海に派遣すると発表
  • 4/11 - 日本の海上自衛隊が米艦隊と共同訓練を実施するため護衛艦数隻を合流させることを検討中と公表
  • 4/11 - 日本外務省が韓国へ渡航する人に対して最新の情報に注意するよう促す海外安全情報を発表
  • 4/13 - 北の三代目が「本物の戦争の味を見せてやろう」と談話を出したと伝えられる
  • 4/13 - 米NBCテレビは13日、複数の米情報機関高官の話として、北朝鮮が6回目の核実験の実行を決断したとトランプ米政権が判断した場合、北朝鮮に対して核兵器ではない通常兵器による先制攻撃を行う準備を進めていると明らかに

北朝鮮軍の準備状況

  • 昨年8月、潜水艦からの弾道弾ロケット発射に成功
  • 一連のミサイル発射(陸上固体燃料ロケット)は、研究開発段階から軍の発射訓練の段階に入っている
  • すなわち、当初の設計目標は達成した模様
  • 国防省の2015年のレポートによれば、数百発が韓国および日本をターゲットとしている
  • 一部の中距離ミサイルはグアムをターゲットにしているとも
  • 固体燃料ロケット型のミサイルはトラックで移動可能で、10分で発射準備が整えられる
  • ストックホルム国際平和研究所の分析では、10〜12発の核弾頭を保有し、年間4〜6発の製造能力がある
  • 生物化学兵器の貯蔵はありうる(量、種類に関する情報は見つけられず)

米国・韓国の準備状況

  • 中国の強い反対を押し切って、ミサイル防衛システムTHAADを配備
  • 朝鮮半島に派遣されたカールビンソンから最新鋭戦闘機F-35の離陸をデモンストレーション
  • カールビンソンには、ウサマビンラディンを殺害した特殊部隊SEALSが搭乗しているとも
  • 韓国軍は地下の核関連施設を攻撃するため、バンカーバスター爆弾を配備

予想される米軍の北朝鮮攻撃プラン

いずれかか、または複数プランの実行か?

  • 北朝鮮が中距離ミサイルを発射した場合、ミサイル防衛システムで撃墜する
  • シリアへの攻撃と同じく、巡行ミサイルによるサージカル・アタック(外科手術的攻撃)で、原子力またはミサイルの開発施設をピンポイント攻撃
  • 北の三代目の暗殺のみをターゲットとした特殊部隊による急襲(オバマ政権下で訓練が行われていたと噂される)

北朝鮮側の反撃

  • 北朝鮮が反撃を加えた場合、第二次朝鮮戦争を意味する
  • 一番可能性が高いのは、韓国および日本の在日米軍基地へのミサイル発射と同時にソウルへの侵攻作戦の命令

在韓日本人の避難計画

  • 韓国に滞在中の日本人は約4万人
  • クリントン氏が北朝鮮空爆を計画した際の在韓日本人避難計画では、朝鮮半島陸路を在韓米軍が担当し、海上輸送および日本国内での一時収容は日本政府と自衛隊が担当する予定であった
  • 朝鮮半島内の在韓日本人輸送について韓国軍の担当にしなかったのは、韓国国内の世論の反発を防ぐため
  • 良く練られた計画であるが、今回はそのような計画があるか不明
  • 慰安婦少女像の問題で、大使召喚したことが地味にダメージを負っている

難民対応

  • 実際、北朝鮮が崩壊した場合、防衛省が90年代にシミュレーションした結果によると20万人が日本にくると予想
  • 現時点での信憑性の高い予想データはみつけられなかった
  • 自衛隊の総兵力15万人、全都道府県の警察官定員が25万人
  • 難民の不法上陸をすべて防ぐことは不可能
  • 防衛・外交リスクとして、難民の暴動や騒乱より日本人による難民迫害事件が憂慮されている
  • シリア難民すら50人しか受け入れていない現状で、北朝鮮難民の受け入れ拒否は国際非難をうける
  • 一番の問題は、この問題についてほとんど議論されていないこと

1990年代のクリントン政権空爆プラン

  • 北朝鮮の報復攻撃は必至

  • 開戦90日間で、米軍の死傷者5,2000人、韓国軍は490,000人

  • 戦費は600〜1000億ドル

本当に何かが起きるのか?

  • Northによる衛星写真分析によると、北朝鮮による新たな核実験の準備が進んでいる

  • トランプ氏側の自制を期待すべきではない

  • 自制を求める官僚人事が決まっていない
  • ある意図をもった側近がトランプ氏に耳打ちしたら・・・

  • 北の三代目も自制を期待すべきではない

  • 自制を求める側近は粛清されてしまった

  • トランプ政権は娘夫婦が主要ポストに入り、北の三代目も妹が広報官をしている

  • 両者とも家族経営の国家運営

  • 安倍首相は前のめり

まとめ

※あくまで個人の感想です。 金日成の生誕105周年にあたる、2017年4月15日に合わせて、核実験の準備をしていたようで、アメリカも早い時点からそれを検知していた。

これまでの北朝鮮関係のメンツのなかで、この2人ほどチキンレースが似合う政治家の組み合わせはいなかった。そんなことを言っている場合ではなかった。どっちがチキンレースを降りる可能性が高いかといえば、トランプ氏の方だが。実際に何かが起こる可能性は低いと思うが、それも希望的観測に過ぎないか。

ネットでアメリカの先制攻撃を煽るコメントをみるについけ、人類は罰を受けるべきだとも思うし、これで現代が終わるなら、それでも良いかとも思わなくもないが、やはり戦争は避けるべきだ。私も知人が数名、ソウルで働いている。何も起きないことを祈るのみである。

参考文献

思いつきでやってみよう

こんなことを選挙のときに言っていた、トランプがいきなりシリアに報復の空爆を行った。あれほど中東で起きていることなど放っておけという人間が、いきなり手をひっくり返したので、驚いている。

  • ロシアから選挙支援を受けていた疑惑を払拭するためにロシアと敵対する行動を取ったという見方あり
  • 娘のイヴァンカがシリア空爆をお願いしたとも
  • 安倍昭恵よりハイリスクやな
  • 習近平との会食中に「チョコレートケーキを食べながら、シリア空爆を話したんだ」(by トランプ)

トランプ外交のこれからのリスク

  • トランプ大統領は基本的にアメリカ国外に興味をもっていない。今後も持つことがない
  • 興味が無いことに関しては、感情的に対応する可能性が高い
  • 興味が無いことに関しては、誰かが説得力を持つ働き掛けを行うと、考え方を180度変えることに躊躇なし
  • 中国が「金持ち喧嘩せず」を貫けるのか

やっぱり、希望的観測は棄てるべきですかね。

強い人間を飲み込む弱い人間の沼

※ネタバレがある。

話題となっていた映画「沈黙 -サイレンス-」を観た。話題となっていたとは書いてみたものの、集客に苦労していたのかはたまた見に行こうと腰を上げたのが遅かったのか、どこの上映館も平日は日中に1回のみの上映で、夜の上映がある映画館は行動圏から大きく外れていたので、なかなかタイミングは合わなかった。

もともと遠藤周作の小説で、マーティン・スコセッシ監督が28年間リメイク版の作成を温めていたものだ。内容を語るのもおこがましいが、キリスト禁教令下の江戸時代の長崎が舞台で、そこに日本人のキチジローを案内役にポルトガル宣教師セバスチャン・ロドリゴとフランシス・ガルペが秘密裏に日本に潜入し、布教活動を始める。しかし奉行所の取り締まりは厳しく、宣教師ロドリゴも囚われて棄教を迫られるという展開だ。

作品は人間のもつ信仰心が大きなテーマであり、どんな拷問を受けても信仰を捨てない強い人間と、簡単に意志を曲げ、信仰を貫けず、家族や友人を裏切る弱い人間が描かれる。事前に聞いていた通りに、良い作品だった。とはいえ、突っ込みどころはたくさんあるし、そもそも万人受けする楽しい作品ではない。

もちろん、強い人間と弱い人間、そして信仰について考えさせられた。信仰を形式的に捨てざろうえなかったロドリゴは弱い人間だったのか?すぐに裏切る(ユダのように)キチジローは本当に弱い人間だったのか?原作者の遠藤周作は「キチジローは自分の分身」と言ったともいう。自分は弱い人間に甘んじているだけなのか、強い人間になろうと志しているのか?しかしそれ以上に、喉にトゲのように引っかかったのは、イッセー尾形が演じたお奉行のイノウエ様と、浅野忠信が演じた通訳の武士が見せる組織社会日本の姿であった。

宣教師ロドリゴに対してイノウエ様が棄教をたびたび迫る。「お前が宣教師であるかぎり、キリシタン達の苦しみが続く。お前は宣教師でありながら、これを見捨てるのか」と。ロドリゴはいう「自分を拷問にかけて殺せ」。イノウエ様は返答する「お前を殺して殉教者にすればキリシタンの信仰は強くなる。お前は殺さない」。つまりイノウエ様が聖書を理解している人物(=元切支丹、そして棄教した弱い人間)である、というのが分かるニクい構成になっている。そして、イノウエ様は語る「日本社会とは『沼』だ。どんなに種を巻いても、『沼』から芽がでることはない。すべて『沼』に飲み込まれてしまうのだ」。