青年海外協力隊、隊員の生態〜その2〜佐古隊員の場合
タイトルは釣りです。本気にする人は居ないと思いますが念の為。
本質の無いブログ記事の数々
なぜか、時々「ブログ内のアクセスランキング」がある。目的の説明がなく、なぜどの記事のアクセスランキングを掲載させているのか不明。新聞記事のスペイン語を日本語訳しただけの記事も時々登場する。そこから何の論旨の展開もなく、目的が読み取れない。自己承認欲求の亜種か?
だから、今ここにいる自分そのものが自分の鏡であるように思う。 そして、その鏡に映った自分に対してどのように感じているのか、 それがとても大事なように感じる。
で閉じられている。びっくりだ。
「おーい、鏡に映った自分にどう感じたんだ。肝心なことがなにも書いてないじゃないか」 「じゃあ、その鏡に映ったものは何だ?」 「言ってみたかっただけか?」
本人が答えないので、勝手に解釈しておこう。要するに、これはポエムだ。自己陶酔というやつだ。
ざっと読み通してみて、そこに通底するものを列挙していみると以下の通りだ。
- 本質であるはずの、活動内容、活動先との関係の記述が極めて蛋白である(ほとんどない)。
- 活動先に関して「とくに必要とされていない」で終わり。悩んでいる感ゼロ
- しかも、むしろそれを口実とばかりに日本とボリビア比較の小ネタを紹介し続ける態度
- 自分の感情を慰安すること(要するに自慰行為)が目的の記事の数々
協力隊事業を評論するための参加
氏のブログの最後の記事から引用する。
協力隊には、すばらしい人、尊敬できる人、頭が良い人、普通の人、 腹が立つ人、陰険な人、みっともない人、たくさんのタイプの人間を見る事ができます。 協力隊間には序列は無く、それらの人と横一線でつながります。
この記述は彼の協力隊参加に対するスタンスを良く示している。「ボランティア」や「国際貢献」が目的で「協力隊参加」は手段、というのが本筋なはずだが、彼のブログからは「協力隊参加」そのものが目的だったと読み取れる。要するに彼の2年余りは「協力隊評論家」だったということだ。
これは単なる推論ではなく、自分自身の言葉で語られている。なぜブログを書くのですか?調整員に聞かれてから引用。
私がブログを書く他の理由は
「青年海外協力隊という物を更に広く知ってもらうため」そして、
「より多くの若者に協力隊に応募してもらえるようになるため」そして、
「任地であるボリビアというものをもっと知ってもらうため」である。
私が書くブログの大半は「未来の協力隊員」に向けて書いている。
彼らが、より良い活動ができるように、より確かな覚悟が持てるように。
(中略)
細々ではあるが、協力隊の良いところ悪いところを感じ取ってもらい、
協力隊への応募者の増加に貢献出来ればと思っている。
頭が痛くなってきた。ツッコミどころ満載だ。それと同時に、協力隊員のブログに通底する「ある態度」を理解する上で大きなヒントになった。
佐古氏は鼻から、自分の協力隊の活動そのものを放棄している。そのうえで「未来の協力隊員」なるものに向けて、自分の記事で良い活動ができるように参考となる記事を書いているという。絵に書いたような本末転倒だ。自分が活動しなくてどうする!
そして、驚くべきことにその落差に疑いを微塵も持っていない。ブログを通じて協力隊を宣伝するためにブログをやっているということを表明してもなんの疑問も感じていない。あまりにも無自覚だ。以後、この態度を「協力隊員評論家」と呼ぶことにする。
二度目の受験
さて氏は二度目の参加を目論んだようだ。二度目の参加というのがありうるのかどうかはよく分からないが(事例があると氏は述べてはいるが)、無いよねやっぱり。二度目のチャレンジを二回して二度落ちている模様。落ちた理由は本人も釈然としていない様子だが、諦め宣言を出している。そして、ここでも一貫して協力隊評論家としてブログを書いている。仮に二回目の協力隊に参加したとしても、恐らく評論家として活動をつづけたのだと予想する。
まとめ
ブログ内容をまとめると、以下の通り。
- 活動内容に関しては、少数で蛋白な内容。
- そもそも協力隊の活動はほぼ当初から放棄
- 協力隊に興味を持っている人物を想定読者として質問に応える形式の記述が目につく
- 現地の新聞記事の翻訳。解説なし。
- 定期的なアクセスランキングの掲載
- 自己アピールとしての中立的な記述表明(実際は偏っている)
「中立的な記述」はただの「未来の協力隊」なる想定読者に向けた宣伝文句なのだろうが、彼が「中立的な記述」を1bitも考えたことが無いことは、良く理解できた。