無知と無能の間に

無知無能者、固人之所不免也

政治の道具としての青年海外協力隊〜その3〜曽根綾子の提言に見えるもの

ネトウヨの皆さんの精神的支柱である曾野 綾子氏がありがたいお言葉を述べていたので引用する。

「日本人へ」文責 曾野 綾子

物質的豊かさと平和の中で  近年、日本の教育の荒廃は、見過ごせないものがある。子どもはひ弱で欲望を抑えきれず、子どもを育てるべき大人自身が、しっかりと地に足を着けて人生を見ることなく、功利的な価値観や単純な正義感、時には虚構の世界(ヴァーチャル・リアリティ)で人生を知っている、と勘違いするようになった。

(中略)

奉仕の志

 今までの教育は、要求することに主力をおいたものであった。しかしこれからは、与えられ、与えることの双方が、個人と社会の中で温かい潮流を作ることを望みたい。個人の発見と自立は、自然に自分の周囲にいる他者への献身や奉仕を可能にし、さらにはまだ会ったことのないもっと大勢の人々の幸福を願う公的な視野にまで広がる方向性を持つ。

 そのために小学校と中学校では2週間、高校では1ヵ月間を奉仕活動の期間として適用する。これは、すでに社会に出て働いている同年代の青年達を含めた国民すべてに適用する。そして農作業や森林の整備、高齢者介護などの人道的作業に当たらせる。指導には各業種の熟練者、青年海外協力隊員のOB、青少年活動指導者の参加を求める。これは一定の試験期間をおいてできるだけ速やかに、満1年間の奉仕期間として義務付ける。

 そこで初めて青年達は、自分を知るだろう。力と健康と忍耐する心を有していることに満足し、受けるだけではなく、与えることが可能になった大人の自分を発見する。障害者もできる範囲ですべての奉仕活動に加わるから、彼らもまた新しい世界を発見し、多くの友人を得るだろう。

 私たち人間はすべて生かされて生きている。

 誰があなた達に、炊き立てのご飯を食べられるようにしてくれたか。誰があなた達に冷えたビールを飲める体制を作ってくれたか。そして何よりも、誰が安らかな眠りや、週末の旅行を可能なものにしてくれたか。私たちは誰もが、そのことに感謝を忘れないことだ。

http://www.kantei.go.jp/jp/kyouiku/1bunkakai/dai2/1s_iken.pdf

最終的には、満18歳ですべての国民に、1年ないしは2年の奉仕期間を設定し、動員することです。明確にしておきますが、これは兵役ではありません。

(中略)

1)小学校、中学校は、毎年9月初めから、約2週間、学校の必修として、各地に分散して設営された簡素な宿舎で、共同生活をし、おのおのその年齢に合った肉体労働をする。

2)高校生は、大学受験が終わり、就職先も決定した3月末から最低1ヵ月、できれば2ヵ月間動員する。既に社会で働いている、同年齢もこれに合流する。国有林の下草刈り、農作業の手伝い、老人介護、など、健康状態や体力の差に応じて、奉仕活動に従事させる。男女の差はない。身体障害者も同じように動員し、できる仕事をさせる。

3)各地方に分散して、受け入れのための質素な建物は作るが、大部屋、トイレ、簡単な暖房、シャワーぐらいは用意するが、徹底して、共同生活に馴れさせ、肉体労働に従事させる。これらの動員の補助的指導と訓練には海外青年協力隊員、警察、自衛隊、海外駐在員などのOBや、シルバーボランティアを当たらせる。

4)このための時間と費用を捻出するため、既に時代遅れの感のある修学旅行制度は廃止する

(中略)

なお、1年ないしは2年間の奉仕活動を設定すれば、老人介護などの問題はほぼ解消するものと思われます。

自発と義務の間には、絶望的な断絶がある。「社会全体への奉仕」は国家が介在することで、簡単に「権力者の奉仕」に切り替わる可能性がある。

そしてなにより興味深いのは、「個人的な幸福追求は悪で即刻駆逐せよ、日本人は今すぐ全体に奉仕しなければならない」と攻撃する一方で、彼らは協力隊という事業に一種のシンパシーを感じている。いや、「利用価値がある」と考えているに過ぎないのかもしれない。それでいながら、協力隊に応募してくる面々は「自己実現のため参加」している。180度、思考の方向性が違う両者が、奇妙に同居していることだ。

またJICAはこの手のマッチョ思考の人たちに、露骨に媚を売っている。彼らに受けが良いようにプレゼンテーションしているわけだ。そうしなければ、予算を引っ張ってこれない事情はあるのだろう。「組織を守るためなら、悪魔とでも手を結ぶ」というのは言い過ぎか。

個人主義進歩主義は悪だ」と表明する右よりの人たちと、「個人の利益の最大化」が参加動機の協力隊員と、「組織存続」が唯一のビジョンであるJICAが協力隊事業を支える三本柱というのは、実に味わい深い。