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無知と無能の間に

無知無能者、固人之所不免也

シンゴジラが描かなかったもの

シンゴジラを見てきた。以下、ネタバレを含む。

 描かれていたもの

2011年3月11日から始まった、あの一連の出来事を暗喩していた。

謎の敵が攻め込んでくるのを、組織から弾かれたが一芸に秀でる寄せ集め集団で撃退するというモチーフは、「七人の侍」のオマージュともみえる。そして映画オタクでもある庵野監督が敬愛してやまない岡本喜八をシンゴジラを作り出した謎の博士として写真登場までさせている。そして岡本喜八の沖縄決戦のように、重大な出来事をテンポよく切り替え、テロップを多用、ゴジラ第一作のエッセンスもうまく取り入れていた。

東日本大震災を映像作品として再構成する・・・というより東日本大震災で実現できなかった大都市東京を破壊してみせるという庵野の野心はここに達せられた。

そして、もうひとつ。不測の事態に対して、福島原発事故でもあったように、右往左往する政府上層部の姿。会議ばかりで決断力に欠ける政治家、省庁間の縦割りに泥縛する上級官僚、「巨大不明生物特設災害対策本部」とかいうネーミング。核ミサイルを東京に打ち込んで始末しようとするアメリカからの最後通牒をつきつけられ、組織では使い物にならない役所内のオタク連中をあつめて、ゴジラ冷温停止に成功する。オタクファンタジーでもある。

描かれなかったもの

なにが良かったかといって、この手の映画にありがちな「恋愛」「家族愛」「人間愛」というような、チープな物語がバッサリと切り捨てられていたことだ。これによって、オタクファンタジーでありながら、シン・ゴジラは社会性を持つ作品になった。

そしてもうひとつ描かれなかったもの。それは東日本大震災での原発事故でヘドロのように足元にあり、原発事故を霧の中に押しとどめようとしていたあの組織体だ。東京電力東京電力のトップから足の先までを組織したサラリーマン集合体、決して積極的な行動はせず、互いの足を引っ張り合い、責任をなすり合い、評論家を気取るあの社畜とも比喩される不可解の群体が描かれていなかった。

端から東京電力(だけでなく日本のサラリーマン群体)を入れるつもりはなかったのかもしれない。官僚組織はでてきていたし、足も引っ張っていたが、あれでは足らない。もちろんそんなものを入れればストーリーは複雑化してつまらなくなっただろう。でも、あれを描いたものが見てみたかった。