読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

無知と無能の間に

無知無能者、固人之所不免也

ポスト・トゥルース

2016年アメリカ大統領選挙 トランプ政権

さて2016年は、トランプ大統領誕生、イギリスのEU離脱と思わぬ年となった。さて、イギリスのオックスフォード辞書が選んだ2016年を表す世界の言葉に「Post Truth」が選ばれた。

Post Truth

Post Truthとは、オックスフォード辞書によると以下の意味となる。

客観的事実よりも感情的な訴えかけのほうが世論形成に大きく影響する状況を示す形容詞。

2016年の流行語としていずれ忘れさられる消耗品として言葉ではなく、歴史に残る言葉になるだろう。トランプ現象は象徴的なできことであるが、自分にとって都合の悪い事を徹底的に無視し、自分の都合の良いものだけを主張する輩でネット上は満員御礼だ。

Post Truthとはインターネットの産物なのか?

ここは明確に「No」と言っておく。もともと人間とはそういう存在なのである。人間とは信仰する動物であり、常に自分に都合のいいもの「信じて」安心を得る動物なのだ。単に、インターネットによって可視化されたにすぎない。いやインターネットを持ちださなくても、単に第二次世界大戦の教訓が消えつつあるだけななのかもしれない。

確かにインターネットによって生み出された新しいメディアツールは、世の中を正確に映し出す鏡ではなく、白雪姫にでてくる「鏡よ鏡、世界で一番美しいのは誰?」と聴けば、「もちろん、貴方です」と答えるものであった。ネットで、互いを理解しあう議論は生まれず、自分の都合のいい情報だけ悦に入り、都合の悪い情報を徹底的に叩いたり、無視したり、削除したり、デマをつくり拡散したりというのが繰り返されている。

政治的なことばかりではない。ネットショッピングも週末旅行の計画も、ネットで検索すれば、いままでの自分の検索履歴から推定される「おすすめ情報」が表示されるだけだ。ネットショッピングで、あたかも自分が選びとったように錯覚しているが、実際にはアルゴリズムの手のひらで踊っているに過ぎないのではないのか。

では、インターネット前はそうではなかったか?違う。人間とは昔から、自分の都合のいい情報だけを信じていた。自分の都合の良い情報がでてくるまで、それ以外の情報は無視する。まるでトランプゲームで自分の都合の良いカードを引くまで何度も何度もカードを引くことを繰り返すように。要するに人間というものはそういう動物なのだ。

参考