KeiKawakita氏とJiburi.comの協力隊ブログは読む価値がないと断言できる「たった一つの理由」:その1、宮﨑大輔氏(jiburi.com)のブログ記事を解析してみる
賢明なる諸兄はお気づきでしょうが、タイトルは釣りです。宮﨑大輔氏(jiburi.com)、Kei Kawakita氏のエントリータイトルをパクってみました。すいません。ただ彼らブロガー連中が「キャッチーなタイトルつけるべし」などのハウツーを実践しているため、「不肖、私が〇〇をぶった切る」「・・・が必要なたった3つの理由」「サルでもわかる〇〇」といった、わかりやすくて、単純化していて、とっつきやすくて、表層的で、薄っぺらくて、安易な情報が大量に撒き散らされることになったのは、賢明なる皆様が感じるところでしょう。
さて宮﨑大輔氏、Kei Kawakita氏などのブロガー連中がよく使う「・・・がわかるたったN個の理由」という意見表明は、「高慢」「野蛮」であり「暴力」ですらありえます。本当に、「たったのN個の理由」で協力隊の活動は分析できてしまうものなのでしょうか?さらにいえば、自分たちも「たったのN個の理由」で人から分析されてしまう可能性を、どの程度、彼らの頭の中で考慮しているのでしょう。「自分は自分の周囲環境について、わかりやすいし、有能だからN個のワードで理解できるが、他者は自分より愚かであるはずだから、繊細で感性豊かで知的な自分をたったN個のワードで理解できるはずがない」という考えの方達なんですかね。
宮﨑大輔氏(jiburi.com)、Kei Kawakita氏が、いくら中身のない記事を書き飛ばしているからといって、1つ、3つ、5つ、10で理由を推定し、単純化して理解できるような能力は、残念ながら、私は持ち合わせていない。従って、宮﨑大輔氏(jiburi.com)、Kei Kawakita氏を「ぶった切って」2つにしたところで何もわからなし、中身の無い記事を読んで主観的評価を下したところで致しか無い。なので、ミンチになるまで砕いて分析することにした。
ブログ名の由来についての推察
解析結果を示すその前に、表題の推察を加えておく。恐らくだが、スタジオジブリの「ジブリ」と宮崎駿の「宮崎」で検索したときに、偶発的に検索エンジンが上位に表示し、クリックする奴がいれば良いとでも考えたのか。それとも覚えやすいからという理由なのでしょうか。要するに、コバンザメ戦略。とはいえ、本人が、何も述べていないので、推論の域は脱していない。けれども、そんなに外した推論でもないはずだ。いずれにせよ、氏の行動原理は「ドメインを取得したときから、ブログを育てることを最優先にやってきた」と指摘できる。
解析対象
jiburi.comにあるエントリー記事について、2017年4月16日現在、「青年海外協力隊」にカテゴライズされたエントリー記事をすべて(285件)をすべてスクレイピングし、mecabとchasenを使って字句解析を行った。もともとは、パクリ記事解析用に用意していた自作コードを改造したものである。
なお、宮﨑大輔氏は2013年7月から2015年6月まで、中米パナマへ農業技術指導として派遣されている。
タイトルにおける頻出名詞
前提として、mecabとchasenを使い、デフォルト辞書と、協力隊用語など50語を加えたユーザー定義辞書を使い字句解析を行った。また、「ここ」のような指示代名詞、「こと」のような非自立名詞、「年」のような助数詞、記号はカウント対象から除外した。
名詞 | 出現数 |
---|---|
青年海外協力隊 | 173 |
ボランティア | 50 |
活動 | 43 |
日本 | 38 |
パナマ | 38 |
帰国 | 33 |
JICA | 32 |
隊員 | 26 |
途上国 | 26 |
中南米 | 25 |
調査 | 21 |
参加 | 21 |
訓練 | 21 |
派遣 | 18 |
海外 | 17 |
野菜栽培 | 17 |
予め書いておくと、氏の職種は「野菜栽培」である。つまり「野菜栽培」は17/285の比率でしか、ブログタイトルに登場していないことになる。青年海外協力隊が173/285であり、全体の60%に相当する。考察するまでもないが、これまで弊ブログで紹介してきた青年海外協力隊隊員と同じく、青年海外協力隊を評論しているのだ。このブログは。これだけでも、氏のブログを読む必要がないと言える。次。
記事全文における頻出名詞
記事(285件)の全文の頻出名詞をピックアップしてみた。名詞総数は約13.7万。
名詞 | 出現数 |
---|---|
青年海外協力隊 | 2683 |
活動 | 1869 |
ぼく | 1603 |
日本 | 1516 |
ボランティア | 1145 |
パナマ | 1143 |
僕 | 868 |
派遣 | 754 |
帰国 | 725 |
隊員 | 652 |
参加 | 633 |
農業 | 630 |
訓練 | 615 |
協力隊 | 566 |
参考 | 566 |
ブログ | 547 |
子供 | 524 |
学校 | 523 |
途上国 | 520 |
JICA | 516 |
村人 | 508 |
協力 | 507 |
JICA | 490 |
国際 | 482 |
記事 | 476 |
自分 | 475 |
ここでも「青年海外協力隊」の比率がぶっちぎり。そして注目すべきは「ぼく」「僕」「自分」という単語の数の多さである。その数「2946」。全名詞中、2.1%が「自分」であった。私小説と言って良いレベルである。要するに氏のブログには「自分語り」の記事がならんでいるということだ。これだけでなぜそのようなことが分かるか。次の表をご覧頂きたい。
名詞 | 出現数 |
---|---|
カウンターパート | 163 |
Amazon | 163 |
カニャサス | 150 |
同僚 | 137 |
旅行 | 123 |
Kindle | 120 |
ホストファミリー | 65 |
ドルトムント | 12 |
調整員 | 11 |
協力隊の隊員が直接仕事のやりとりをする現地側のパートナーのことを「カウンターパート」と呼ぶらしいのだが、これが「Amazon」と同数。「カニャサス」というのは氏が主に活動していた地名だが、「Amazon」より出現数が少ない。とても興味深い。JICAの現地での隊員の世話係を「調整員」というらしいが、「ドルトムント」より少ない。興味深いことだ。
それはさておき、「カウンターパート」「同僚」「調整員」という名詞に対し、「自分」を指す名詞が2946であるのと比較すれば、圧倒的に、桁違いに少ない。これは氏のブログが「自分語り」ブログであると言える証左であり、「まともに活動していなかった」と、断言できる。
なぜ断言できるか。自分の活動を客観的に分析したものを紹介する意思があれば、どうしたって自分を取り巻く環境をよく観察する必要がある。自分を取り巻いている人、物、現象、事象、環境を説明するための言葉が書かれているはずだ。そして、活動を共有していたはずの人物の、発言や行動が記述されているはずで、そのような名詞の登場頻度が、「自分」より多くなるはずである。例えば、大学のレポートや論文で「自分」の登場頻度が2.0%を超えることなどありえるだろうか。
ブログ記事から散見できる協力隊活動とブログ記事作成の優先順位
宮﨑大輔氏は、パナマ派遣中の年初に以下のような目標を設定している。
ブログもfacebookページも更新、200回更新する!
さらに「2014年に買って良かったもの5選」なるブログ記事をアップしている。それだけでも氏の「ブログ運営方針」を見て取れる。買ったものを協力隊活動期間中にブログ記事で紹介するのが、さらに、何を挙げているかいえば、以下の通り。
青年海外協力隊として途上国暮らしを始めた2014年に買って良かったもの5選は、以下の通りである。
1.タブレットNexus7
2.ポケットWi-Fi
3.単焦点レンズ
4.登山靴
5.マチェテと呼ばれる山刀
上位3つはブログ作成のために購入したもの。純粋に農業に関するものは「山刀」だけだ。要するに「農業」より「ブログ」、そして「自分」ということを宮﨑大輔氏は暗に「表明している」と捉えるべきだろう。
任期修了後、一年半後にパナマに戻ったそうなのだ
結論をいえば、ここでも「自分」「自分」「自分」。以下、氏のブログから引用する。この一文が全てを物語っている。
ぼくが居なくなったことで元に戻ったこと消えたこともあったし、消えていなかったこと残ったこともあったと自分の目で確認できた。
詳細は省くが、要するに2年間での自分の活動について、それが「残ったか否か」だけを確認しに戻ったということだ。「でも自腹で金を払って偉いじゃない。批判するなんて間違っている」。本当にそういえるのか。奴はそのような反響・・・「自分への賞賛」があることを見通して戻ったのではないのか。
この記事からわかることは「自分のやったことが残っているかどうか」が注目ポイントで「反省」がないということ。何度でも書く、この人には、「反省する」「見直す」「フィードバックする」という考え方は無い。信州大学の大学院まで進学しているようだが、そこで何を学んだのだろか。少なくとも高等教育では、仮説を立てて、実施して、検証し、フィードバックするというプロセスを教えているはずである。この人は「実施」だけ。そしてそれが残ったかどうかだけが着目点だということを自白している。なぜ現地まで行ったのに「なぜ上手く行かない」「なぜ上手く行った」という作業や思考をしないのか?奴にとっては、必要無いからだ。
農業関連の名詞出現数を示しておく。
名詞 | 出現数 |
---|---|
野菜栽培 | 256 |
栽培 | 316 |
農家 | 137 |
水 | 131 |
種 | 127 |
農業技師 | 96 |
有機 | 86 |
適正技術 | 7 |
ここで、「適正技術」について補足しておく。なぜこの名詞に注目したかといえば「青年海外協力隊の最終目標はたった1つの適正技術を残すこと」と氏は宣言しているからだ。これを確認するために氏はパナマに帰国している建前になっている。しかし、ブログ内からは7回しか出現していない。しかも、過去エントリーへのリンクを張っているだけな場合も含んでいるので、実際には3回程度である。「最終目標」として掲げた「適正技術」がブログ内から3回しか現れないというのが、氏の本音である。それは、氏のブログが既に述べたように「自分」でうめつくされていることで分かる。自分ばかりを見ていて、現地なるものをまったく見ていないわけで、なにが「適正技術」かなどという試行錯誤などしていない。つまり「自分をよく見せたい」という願望のために「適正技術」という言葉を利用したということだ。
これも「自分を探し」に一年半後にパナマに戻ったと解釈すれば、記述内容を理解することができる。要するにJiburi.comとは「自分の、自分による、自分のためのブログ作成」であり、そのために青年海外協力隊制度を利用したと言える。農業コンサルタントを自称しているが、片腹痛いとはこのことだ。プロセスを見直せない奴にコンサルが務まると言えるのか。恥を知れと言いたい。
ノマドって?
「ノマド」。意識高い系のあの連中が使うため、手垢のついた言葉だ。要するに「物や場所に執着することなく、都度、自由に気ままに移動して生活する」ということを指している。そのような生き方は否定はしない。しかし、だ。宮崎氏は何でもかんでも手を出しては、反省もなく、見境もなく、次の行動に移行する習性があるようだ。これでは、「ノマド」ではなく、「イナゴ」だよ「イナゴ」。誤解しないように行っておくが、私は君が害虫だとは言わない、イナゴも生存している以上、生態系に組み込まれたものであるから。であるので、氏のような人物には「ノマドイナゴ」という称号で呼ぶことにしよう。幸せの青い鳥を追いかけるイナゴ。
まとめ
- 宮﨑大輔氏は、ブログを書くネタとして協力隊員になった
- ブログ内容は、自分のことが書かれている。常に「自分」。自分の感性なるものに酔っ払っているよくいる人。
- イチゴコンサルティングは、大学院で学んだ範囲(自分の資金でリスクを取って栽培した経験はない)
- 自分をブログでアピールして、ブランディング。それを換金するビジネスモデルを2017年現在も実施中
- 本業は、ノマドイナゴのWebライター。
- あるいは幸せの青い鳥を追いかけるイナゴ
宮崎氏はインタビューで協力隊になることに関して「いや、それが全然興味なくて。どちらかというと嫌いぐらいでした」と告白している。また自身のブログで、協力隊員になるために、「本当は『村落開発普及員』で応募したかったが、確実に合格するために『農業』を使った」と告白している。要するに、本人も「ブログを書くネタとして、協力隊員を利用した」ことを認めている。
もう一度書くが「イチゴコンサルティングは、大学院で学んだ範囲。自分の資金でリスクを取って栽培した経験はない」ということ。農業コンサルティングなんて自称だよ自称。これは「協力隊制度」を冒涜しているし、「農業」も冒涜している行為だ。
そもそもブログを書くという行為はなんだろう?
引用するよ、何度でも。
詩人の荒川洋治はブログを書くことについて以下のように述べていた。
ブログという自己表現は危険である。ブログは、人に見られている、人に読まれているということを前提に書いている。ブログは自分のことをどんどん書ける。どんどん書ける、たくさんの言葉を使っているということは、逆に「自分が無い」という状態でもある。「自分はあるんだ」「いま、自分のことを書いている」と書き手は思っているかもしれないが、実は希薄だったりする。自分が無いからどんどん書けるといえる。
もうひとつ、マックス・ウェーバーの言葉も引用する。
学問領域で「個性」をもつものは、その個性ではなくて、その仕事(ザッへ)に仕える人のみである。しかも、このことたるや、なにも学問の領域にばかり限ったことではない。芸術家でも、自分の仕事(ザッへ)に仕えるかわりになにかほかのことに手を出した人には、われわれの知る限り偉大な芸術家は存在しないのである。
―――マックス・ウェーバー「職業としての学問」岩波文庫版P.27
ブログのためにボランティア活動していた協力隊員(宮﨑大輔、お前のことだぞ!)は、仕事(ザッへ)に仕えていると言えるですかね?氏のその後の活動をみると、「何でもかんでも手を出しては、反省もなく、見境もなく、次の行動に移行するイナゴ」と私は評しましたが、本人はどう考えているのでしょうかね。