KeiKawakita氏とJiburi.comの協力隊ブログは読む価値がないと断言できる「たった一つの理由」:その2、Kei Kawakita氏のブログ記事を解析してみる
賢明なる諸兄はお気づきでしょうが、タイトルは釣りです。宮﨑大輔氏(Jiburi.com)、Kei Kawakita氏のエントリータイトルをパクってみました。すいません。(前回の解析記事と同じなので中略)。両名のブログの中身の無い記事を読んで主観的評価を下したところで致しか無い。なので、ミンチになるまで砕いて分析することにしました。
解析対象
keikawakita.comにあるエントリー記事について、2017年4月9日現在のエントリー記事をすべて(468件)をすべてスクレイピングし、mecabとchasenを使って字句解析を実施した。もともとは、パクリ記事解析用に用意していた自作コードを改造したものである。
なお、keikawakita氏は、2015年7月からネパールに派遣されている。2017年5月2日現在も滞在している模様。職種は不明だが、プロフィール欄には「ブロガー」とあるので、職種はブロガーなんでしょうし、実際、ブログを書きにネパールに行っているので。
ブログ名について
「僕はネパールを変えることができない。」というブログ名は、「僕たちは世界を変えることができない。」というカンボジアに学校を建てる小説を映画化した作品から、もってきたということらしい。パクリと断ずることは避けよう。しかし、SEO対策だろうね。
タイトルにおける頻出名詞
前提として、mecabとchasenを使い、デフォルト辞書と、協力隊用語など50語を加えたユーザー定義辞書を使い字句解析を行い、使用されている名詞をすべてピックアップし、カウンドした。また、「ここ」のような指示代名詞、「こと」のような非自立名詞、「年」のような助数詞、記号はカウント対象から除外した。
名詞 | 出現数 |
---|---|
ネパール | 97 |
僕 | 67 |
青年海外協力隊 | 65 |
留学 | 64 |
理由 | 63 |
海外 | 46 |
選 | 41 |
紹介 | 38 |
おすすめ | 36 |
わかってたことなんだけど、協力隊の活動について書かれた記事は少数であり、大半は「本、動画、テレビ、自己啓発」の紹介ブログだ。「選」「紹介」「おすすめ」が、115件。全体の約1/4が、そのような紹介記事だということだ。
もうこれだけで、このブログの運営方針が読んで取れるというものだ。ブログで、協力隊と強引に結びつけたコンテンツ類を紹介して、アフリエイトを稼ぐということでしょうね。このブログを読んで、協力隊について分かることなんてあるんでしょうかね。私は、真剣に読む気はまったくないので、わかりません。
記事内における頻出名詞
タイトルだけ分析しただけでは、わからないこともあるので、記事の中身も同様に字句解析を行ってみた。先と同様に、mecabとchasenを使い、デフォルト辞書と、協力隊用語など50語を加えたユーザー定義辞書を使い字句解析を行い、使用されている名詞をすべてピックアップし、カウンドした。また、「ここ」のような指示代名詞、「こと」のような非自立名詞、「年」のような助数詞、記号はカウント対象から除外した。
総名詞数は、約18.1万語。まず、上位を示す。
名詞 | 出現数 |
---|---|
自分 | 3574 |
僕 | 3228 |
ネパール | 2261 |
ブログ | 1433 |
日本 | 1329 |
本 | 1277 |
人生 | 1132 |
留学 | 1124 |
今 | 1112 |
海外 | 933 |
仕事 | 898 |
青年海外協力隊 | 781 |
紹介 | 735 |
記事 | 728 |
活動 | 658 |
おすすめ | 566 |
わけ | 564 |
私 | 389 |
キャラメル | 213 |
僕ら | 192 |
ブロガー | 191 |
「自分」「僕」がワン・ツー・フィニッシュ。賢明なる諸兄は納得でしょうが、圧巻ですな。解析しておいてなんなのですが、当初の頻出数の予想を大きく上回った。全名詞で実に4.5%が「自分、僕、私、わたし、僕ら」と「自分のこと」を指し示す名詞だった。自己言及がひどく多いなと思った宮﨑氏のブログ記事と比較しても、実に2倍に及ぶ。要するに、このブログは「自分のことが書かれており」「自分をアピールするための記事」だけが存在するということだ。
「留学」という語が1124語。氏は過去に留学経験があり、ブログ記事のエントリーを水増しするために、ネタの使い回しをしているということだ。また「仕事」というのが898語である。ここで「仕事」と使っている記事は、自分の活動のことでは無く、過去に氏が読んだという「自己啓発本」の紹介がメインである。「自己啓発本中毒」という言葉があったが、氏は自ら中毒患者であり、ブログの想定読者を、自身と同じような中毒患者予備軍にしているということだ。
「キャラメル」というのは、氏が協力しているという現地女性たちによる活動である。これが213語。これと比較して、ネパール(2261語)」とか「青年海外協力隊(781語)」という単語の出現数はどう考えればよいのか。「ブログ(1433)」「記事(728)」「紹介(735)」「おすすめ(566)」「わけ(564)」という名詞数と比較してどう考えればよいのか。「活動(658)」という単語より多く出現しているというデータは、何を物語るのか。
ここから「ブログのテーマは『自分』」「ブログを書くダシとして、協力隊とネパールを使っている」と読み取った。これらのデータからkeikawakita氏をどう見るかは、賢明なる諸兄に任せることとする。
そして、感性の類を示す名詞の出現数は以下の通り。
名詞 | 出現数 |
---|---|
好き | 442 |
感じ | 361 |
気持ち | 334 |
幸せ | 319 |
嫌い | 59 |
号泣 | 15 |
好き嫌い | 10 |
大嫌い | 7 |
「何を感じたかを示すのは悪くない?」そうだろうか。協力隊員として活動し、それを取り巻く人々の感情を調べたのであれば、必要な記述だ。しかし、「自分自身がどう感じたかという表明」なら問題がある。そこで思考停止に陥る可能性が高いからであり、実際、思考停止に陥っている。
JICAよりAmazon、Google、Twitter
JICAという固有名詞が111語。それに比べて、ある特定の名詞の出現数を比較してみる。
名詞 | 出現数 |
---|---|
本 | 1277 |
出版 | 374 |
Kindle | 273 |
Amazon | 167 |
160 | |
クリック | 138 |
日本食 | 135 |
文庫 | 125 |
映画 | 121 |
ラーメン | 121 |
114 | |
JICA | 111 |
ブックス | 103 |
楽天 | 96 |
ダウンロード | 76 |
テレビ | 70 |
PV | 63 |
ダイヤモンド社 | 59 |
講談社 | 56 |
動画 | 57 |
マンガ (漫画) | 42 |
寿司 | 36 |
そば | 27 |
小学館 | 22 |
チケット | 22 |
ドラマ | 22 |
ポケモン | 22 |
ネパールガネーシャ | 15 |
「日本食」が135語、「ラーメン」という言葉が121語もでてくるが、ネパールの日本食やラーメンの話ではない。過半がビジネス本にでてくる海外での日本食、ラーメン屋の話を引用しているものだ。「寿司」「そば」も同様。なぜか、コロンビアの日本食を熱く語っている。なぜか。それはPVが欲しいからさ。
「ネパールガネーシャ」は、氏が「ネパールなのに下北沢並みにオシャレな土産店」、「このブログでも何度も出てきてますが、超オシャレなお土産店なんです」とまで言い切っている。ブログでも何度という店が15語。記事数で6。よく紹介している店を含む記事の割合が6/468。味わい深い。
分かっていることだが、明らかな傾向がみてとれる。コメントするのであれば、協力隊の活動より「本や映画や動画の紹介」であり、特に「自己啓発本の紹介」が主たるものであり、「アフリエイト目的」というブログの運営方針だと断ずることができる。
カウンターパートより西野、え、西野って誰?
次に、人名や肩書に属するものを抜き出してみた。
名詞 | 出現数 |
---|---|
隊員 | 263 |
ちきりん | 125 |
山口絵理子 | 75 |
宮崎 | 65 |
西野 | 65 |
アドラー (アルフレッド・アドラー) | 27 |
はあちゅう (伊藤春香) | 27 |
川崎宗則 (ムネリン) | 25 |
同僚 | 22 |
本田圭佑 | 17 |
葉田甲太 | 16 |
稲盛和夫 | 14 |
イチロー | 13 |
為末大 | 11 |
堀江貴文 | 11 |
本田健 | 9 |
柳井正 | 9 |
調整員 | 8 |
カウンターパート | 7 |
松下幸之助 | 5 |
イケダハヤト | 3 |
65回登場している「宮崎」という人名は、kei kawakita氏が自身の協力隊ブロガー事業を開始する際に、ロールモデルにした人物。(※注、地名の「宮崎」は除外している。正確には「宮崎」ではなく「宮﨑」。間違っているのはkei kawakita氏のミスであるという点は指摘しておく。しかし尊敬しているという人物の記述を間違えるかね)。前回、弊ブログで解析対象にした宮﨑大輔氏(jiburi.com)のことだ。アドラーは、自己啓発中毒なら一度はでてくるアドラー心理学の話を引っ張ってきているのだ。そして「はあちゅう」だよ。「はあちゅう」。ノーコメントにする。でないと、罵る言葉しか出てこないからだ。
山口絵理子はマザーハウスの社長のこと。バングラデシュでバッグを作っている。なるほどね。そして、京セラの「稲盛和夫」、ユニクロの「柳井正」、パナソニックの「松下幸之助」と創業者が並ぶ。松下幸之助の創業した企業に就職して、配属が不満で辞めて、協力隊に参加してブログを書くネタにしているとか。自分で途上国でビジネスを始めたいという夢を語るわりに、夢をブログで語ることに集中しているのはどう理解すればよいのだろう。
では、西野って誰だ?ブログのエントリー記事を読んでみると、お笑い芸人のキングコング西野のことのようだ。「キングコング西野がネパールに来ていたのか」と勘違いしそうになった。もちろん西野はネパールには来ていない。単に、このKei Kawakitaがブログ記事を書くネタとして何度も何度も引っ張り出してきたということだ。「同僚」とか「カウンターパート」、「調整員」よりも「宮崎」「西野」が数倍頻出しているというのが、Kei Kawakita氏の「活動よりブログ」という本性を示している。本性というより、職業としてブロガーを名乗っているのだから当然なのか。
どうかしてるぜ!!!
よくいるタイプの海外指向
氏はメーカーに就職して海外勤務を志望したのにも関わらず、人事に配属されたことに不満があったのだそうだ。よく聞く話ではある。氏のブログからは「海外勤務でなにかを成し遂げたいのではない。『海外勤務している自分』に酔いしれたい」というのがにじみ出ている。そういうタイプなら青年海外協力隊はいいよね。
前回の解析対象であった宮﨑氏のブログ(Jiburi.com)は、それでも、アリバイ作りとして見せかけの活動をブログに記事としてあげていた。しかし、Kei Kawakita氏の場合は、自己啓発のキュレーションに特化させている。しかも、そのKindleで100冊読んだという知識を現地で試行錯誤したという形跡は皆無である。だって、ブログは「紹介」に特化され、その理由について協力隊員経験による裏付けがほとんど示されていないからだ。
マネージメント層が、「海外で働いている自分に酔いしれて自分のためのブログを書いている人間を、本人の意思を認めて海外勤務させる」なんてことがあるだろうか。自分のことばかり書いていると指摘したが、彼らは「自分が回りからどう見られているのか」という点について、どれだけ自覚しているのだろうか。
Kei Kawakita氏の宮﨑大輔評
さて、Kei Kawakita氏は宮﨑大輔氏を尊敬している。連中の属する界隈の用語で「ロールモデル」という奴だ。Kei Kawakita氏は以下のようにブログに書いている。
僕は宮崎さんの活動を生で見たことはありません。でも、「結果」にこだわり一生懸命活動をされていたことはブログを見れば容易に想像できます。
宮﨑大輔氏のブログを「分析」した私には「結果にこだわり一生懸命活動していた」とは容易に想像できなかった。無理。無理無理無理無理、カタツムリ。
もう一度、よく読もう。「『結果』にこだわり」とあるが、何の結果なのかは書いていない。ブログを使った「セルフブランディングの結果」と解釈すれば、氏がこのような歯の浮くようなことを書くのもうなずける。確かにブログ作成は一生懸命活動していた。「年に200件の記事更新」を目標にして、達成しているのだから。
※以降はまったくの想像であることをお断りする。
Kei Kawakita氏は、宮﨑大輔氏のブログを読んで、「これは行ける」と踏んだはずだ。宮﨑大輔氏のブログは、このKei Kawakita氏のブログよりも活動に類するエントリーも見受けられたが、Kei Kawakita氏のブログエントリーは、より宣伝向けに洗練されている。自身の活動に関するものは圧倒的に少なく、「アリバイ作り」として機能しているのみである。
これは邪推だろうか。揚げ足取りだろうか。本人たちの反論を求む。
お前が言うな
「税金の無駄。青年海外協力隊で任期短縮して帰国すべき3つの隊員」というタイトルの記事をエントリーしている。以下、抜粋引用する。
僕ら青年海外協力隊は日本国民の税金で派遣されています。 この事実は、協力隊員として絶対に忘れちゃいけないこと。そんな重要なことを忘れ、税金で来ているという意識がない隊員は帰った方がいい。
あきれた。人のことをとやかく言う前に、まず自分の行動を見直そうという意識が皆無であるということを示している。
まとめ
- keikawakita氏は協力隊活動をブログ記事作成のために行っている
- ブログ記事の中身は「自分語り」と「宣伝」
- 自己啓発のようななものは「コピペ」。なぜなら自分で具体的に実施した記述が無いから
要するに、「一読する必要すらありません」「リンクをクリックする必要もありません」「検索結果からURLを除外設定することをお勧めします」ということです。
「もともと相談に乗るのは好きなので大歓迎です!」だそうです。では、お尋ねしたいのですが、上記のようなブログを書き綴っている人物に何を相談すべきでしょうかね。
そもそもブログを書くという行為はなんだろう?
引用するよ、何度でも。
詩人の荒川洋治はブログを書くことについて以下のように述べていた。
ブログという自己表現は危険である。ブログは、人に見られている、人に読まれているということを前提に書いている。ブログは自分のことをどんどん書ける。どんどん書ける、たくさんの言葉を使っているということは、逆に「自分が無い」という状態でもある。「自分はあるんだ」「いま、自分のことを書いている」と書き手は思っているかもしれないが、実は希薄だったりする。自分が無いからどんどん書けるといえる。
ここで解析したようにKei Kawakita氏のブログは、まさに「自分のこと」のみを書いている。しかも自分の読んだ「自己啓発本」の紹介が主。「カウンターパート」や「同僚」より「キングコング西野」のことを熱心に書いているんだぜ。まったく。冒頭で理由なんか分かり得ないとしましたが、あえて、Kei Kawakitaのブログを読む価値が無い理由を挙げよというのであれば、「自分が無い」状態の人が「自分のこと」を書いているからです。これは上述の解析結果から、私が導き出したものです。当然、反論はあるでしょう。
もうひとつ、マックス・ウェーバーの言葉も引用する。
学問領域で「個性」をもつものは、その個性ではなくて、その仕事(ザッへ)に仕える人のみである。しかも、このことたるや、なにも学問の領域にばかり限ったことではない。芸術家でも、自分の仕事(ザッへ)に仕えるかわりになにかほかのことに手を出した人には、われわれの知る限り偉大な芸術家は存在しないのである。
―――マックス・ウェーバー「職業としての学問」岩波文庫版P.27
宮﨑氏はブログのためにボランティア活動していると述べたが、Kei Kawakita氏は活動が余暇であって、途上国でブログを書くことが、氏の仕事(ザッへ)だということだ。プロフィールに「職業:ブロガー」と書いているので。しかし、書くネタが足りていないので、人の作ったコンテンツを単にキュレーションしているだけだ。なんなんだろうね。
宮﨑大輔氏(Jiburi.com)とKei Kawakita氏のブログ解析結果
さて、宮﨑大輔氏(Jiburi.com)、Kei Kawakita氏のブログを解析したところ、そこに書かれているのは「自分」であるということが理解できた。「自分」「自分」「自分」「僕」「自分」と自分ばかり書いている。「自分」に「自分」を吸い込んで、自己を肥大化させているというわけだ。で、最後はイソップ童話のカエルみたいに破裂すると良い。