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無知と無能の間に

無知無能者、固人之所不免也

最終局面

2016年アメリカ大統領選挙

10月7日に、ワシントン・ポスト紙が2005年のNBCの番組収録前の会話を録音した内容のを暴露した。

日本のマスコミの報じるところでは、「女性蔑視の暴言」「スターなら、彼女たちは何でもやらせてくれる」という報じ方だ。ただこれだと「いつものことじゃないか、何をいまさら」という感想にしかならない。ただ今回はまるで破壊力が違う。これは原子爆弾級で、Wikileaksが同じ時期にばらした反ヒラリーのネタ(ウォール街の講演会で自由貿易礼賛したのはマニフェストと矛盾する等)は、線香花火にしか過ぎない。

これは番組司会者とトランプが過去にアシスタントについた女性と今日アシスタントについた女性について発言したものだ。以下のような内容だ。

「じつは迫ったことがあるんだ。あの女。誘惑したんだけどな。失敗したんだ」「ファックしようとしたんだ。あの女は結婚していたけどね」「俺は美人を見ると本能のおもむくままに行動するんだ。すぐキスしてやるのさ。磁石みたいなもんだ。キスだけだけど。スターだと何でもやらせてくれるんだぜ。何をやってもかまわない。そしてマ◯コをつかむんだ。何でもできる」

「メキシコ移民はレイプ魔だ」と叫んでいた男が実はレイプ魔だったいう。まさにブーメラン。苦渋の選択としてトランプ支持を打ち出していた共和党議員も支持撤回を表明した。自分たちも選挙がある、女性票をゼロにする訳にはいかないからだ。

そして10月9日に行われた2回目の討論会には、このテーマについてビル・クリントンホワイトハウスでレイプされたとする4人の女性を招くという作戦できた。最初のテレビ討論会では大統領に色気が出たのかプロレススピーチを控えていたが、ここからはタガが外れたようにやってくるのだろう。

アメリカの大統領選挙は1年も時間をかけるというのは、一見無駄なように見えて、候補者の人間性をあぶり出す上で必要なコストなのかもしれない。東京都知事の過去何代にもわたるグダグダぶりと対比すると、一層強くそのように思えるようになる。

参考

ポケモンGOが開けた扉

先日、東京都内の某公園を夜9:00ごろ通ったが、夜に都心とは思えないほど暗い公園の中でスマートフォンに見入りながら、右往左往する群衆を見た。そう、ポケモンGoに興じる一群だ。という私も、用事の帰り道に立ち寄ったとはいえ、ポケモンGoをやりながら彷徨う一人であったわけだが。

それはさておき、このような現象が発生すると、必ず「自分はやっていない」「興味が無い」と頭から否定する言説を振りまく人間が現れる。人間の群体としての性質は面白いもので、ブームにはカウンターが発生する。否定する人たちというのは、他人に冷水を浴びせかけることで自分が他者より優れているということをアピールしにかかっているのだ。しかし、その手の人たちに火をつけたというものを「社会現象」というのであり、ポケモンGOはまさに興味深い社会現象だ。

さて、ポケモンGOの実装面に着目してみる。ポケモンGOはプロトタイピングの申し子といもいうべきほど、手軽につくられている。地図情報はGoogle Mapそのものだし、ポケストップやジムの位置情報はGoogle社内ベンチャーとして始まったIngressのユーザーが集めてきたスポットをそのまま流用して作っている。ゲームのベースラインもIngressから引っ張ってきている。ポケモンGOは寄せ集めの技術で作り上げたものだが、関連記事を読むとアイデア着想からサービス開始まで2年しかかかっていないという。恐るべきスピードだ。

つまりポケモンGOは技術面で新しい物は何もない。GPS情報を使ったゲーム、いわゆる「位置ゲー」もIngress以前にあった。ARもすでにあった。しかも、ゲームの操作は至ってシンプルで、目新しいギミックはほぼない。ではポケモンGOは何を生み出したのか?その問について、ポケモンGOソニーウォークマンに似ている。

ソニーウォークマンは「音楽をパーソナル化して外に持ち出す」ことに成功し、ゲームチェンジを果たした。今からは信じられないことだが、ソニーウォークマンが出るまでは、音楽は部屋のでかいスピーカーでソファーに腰を掛けながらゆったりと楽しむものであった。ウォークマンが登場した時、やはり嘲笑を持って迎えられた「外で音楽を聞くバカはいない」。しかしウォークマンは熱狂的に受け入れられ、同様にカウンター勢力から批判され、ヘッドホンの音漏れで殺人事件が起きるというようなことも起こった。しかし時間をかけてこの社会現象は音楽文化になった。

ポケモンGOは「野外空間をパーソナル化して、歩行移動を作業からエンターテイメントに変えた」といえる。ゲームの些細なことは色々と議論があるだろうが、位置ゲーとARの可能性を多くの人(世界で数千万人いるというアクティブユーザー)に認識させたことが重要だ。これでポケモンGOを超えるものを企むチャレンジャーが現れるはずだ。ベンチャーキャピタルの財布の紐は確実に緩んだ。

ポケモンGOがこの先も勝者になりうるかどうかは分からない。しかし、少なくとも「位置ゲーは儲からない」という仮説をふっ飛ばした。

参考

シンプルな理由のシンプルではない背景

ビジネスモデル 企業経営

読んだ。

「シンプルな理由」みたいな今どきの耳目をひこうとするタイトル(「キャッチー」とかいうのか?)の記事は、注意深く読まないといけない。「コーヒー大成功には理由がある」と書いたうえで、その分析は「コーヒーの市場規模が大きから」という。その根拠として、スターバーックスなどのコーヒーチェーンの売上と比較して、以下のように書いている。当該記事より引用。

コンビニ・コーヒーの規模はすでにコーヒー・チェーン大手を上回っているのだ。 (中略) ところが不思議なことに、これほどの規模の競合が出現したにもかかわらず、既存コーヒー・チェーンは思ったほどの影響を受けていなかった。少なくとも現時点においては、コンビニ・コーヒーは既存のコーヒー・チェーンの顧客を根こそぎ奪っているという状況にはなっていない。それどころかコンビニ・コーヒーは、外で気軽に珈琲を飲むという習慣を定着させたという意味では、むしろ新しい需要を生み出したと考えてよいだろう。

ズッコケそうになった。なんとも底の浅い記事だ。

コンビニコーヒーの直接の競合は「スターバーックスなどのコーヒーチェーン」よりも、販売価格と販売網の重なりあいからいっても「自動販売機の缶コーヒー」だ。直接、缶コーヒーの販売データを掲載した資料は見つからなかったが、参考に上げた論文の中に「缶コーヒーの売上が2005年をピークに右肩さがり」としている。

そもそも、参考文献の2番目にあげた記事にもあるように、コンビニコーヒーはいきなり登場してホームランをかっ飛ばしたわけではない。長い間、何度もチャレンジと失敗を繰り返したうえで(この記事では30年としているが)、やっと成功といえるものを掴んだのだ。

何度も試行錯誤した結果、今のコンビニのカップコーヒーはよくできている。販売するコンビニ側の利点は以下のようなものだ。

  • 客が自分でドリップマシーンを操作するので、店員の労働時間を使わなくてもよい
  • 味についても砂糖やミルクをその場において、客が自分で調整してくれる。
  • ホットコーヒーについてはカップをレジ内でストックするので店舗の商品ケースを占有しない

特のキーポイントとなるのが、客が自分でドリップマシーンを操作するというものだ。コンビニに設置されたドリップマシーンは、「カップをセットしてボタンを押すだけ」のシンプル設計になっている。そして、ホテルやファミリーレストランにドリンクバイキングが当たり前のように存在するようになり、そこにドリップマシーンが置かれるようになって、客が自分自身で機械を操作するという行為に抵抗がなくなったとう面がある。コンビニ側の継続した努力とともに社会風習のちょっとした変化がマッチしたという点は重要だ。

一方で、客の利点は、ある程度の労力を引き受けることでスモールカップ100円で、コーヒーチェーンが提供するような味のコーヒーが楽しめるという寸法だ。

記事が指摘するようにドーナツ販売は、カップコーヒーがうまく行ったから、コーヒーにお供にという理由で提供した点は否めない。しかし、一発目だ。おそらくチャレンジは続いていくのだろう。しかしドーナツからまったく別なものに変わっている可能性はあるかもしれない。和菓子かもしれないし、現時点で想像もつかないものなのかもしれない。

コンビニコーヒーとコンビニドーナツに通底するものは、手垢のついた言葉だが「変化を追い求めている」ということだ。常にコンビニエンスストアが「頭打ち」「市場飽和」などというキーワードで語られている状況に反し、ブルドーザーの如く今でも流通業界を突き進んでいる。この状況は、新規の取り組みにチャレンジしていこうという文化が根付いているからできることだ。コンビニのコーヒー事業もドーナツ事業も一断面に過ぎない。最初に取り上げた記事には、この視点が欠けている。

参考

レスラー・トランプ

2016年アメリカ大統領選挙

ドナルド・トランプが正式に共和党の大統領候補に指名された。泡沫候補と目され、共和党内から激しいバッシングを受けながらも、ここまでやってきてしまった・・・というところか。

さて、日本のマスコミのトランプ評は、総じて「実業家」「ホテル王」「毒舌家」「反ウォール街や移民排斥感情をうまく取り込んだ」というようなものだ。要するに超大国から転落しつつあるアメリカで、不遇を囲っている中の下あたりにいる白人男性の受けが良いキャッチフレーズを放言することでここまで勝ち進んできたという分析だ。

町山智浩氏が出演しているラジオを聞いて、なるほどと思った点がある。それは「プロレスラー」として側面だ。そして、日本のマスコミは総じてスルーしている点も注目だ。

ドナルド・トランプは、WWE(World Wrestling Entertainment以前はWWFとよばれていた)アメリカのプロレス団体とつながりがある。WWFは、ハルクホーガンが所属していたということで思い出す人もいるだろう。そして日本人には信じられないことだが、このプロレス団体はニューヨーク証券取引所NASDAQに上場している。このあたりがアメリカの資本主義の業というものか。

さて、トランプはこのWWEのオーナーであったことがある。2007年にWWEのCEO ビンス・マクマホンとリングの上で戦って勝利したからだ。タイトルマッチの名前は「バトル・オブ・ザ・ビリオネアーズ」。訳すると「億万長者の決戦」か。その時の動画がYoutubeに上がっている。

会場に100ドル札を降らせ、トランプもマクマホンも髪型があやしい(要するにカツラ疑惑)ので、負けた方がバリカンで坊主になるというものであった(結果はWikipediaに記事があるので、気になるひとはそちらを参考に)。プロレスなので、いわゆる「お約束」といったものだ。実際、トランプのWWEオーナーの権利はすぐにビンス・マクマホンにもどっている。どこまでネタでどこまで本当なのか、何を信じて良いものやらわからなくなるが。

さて重要なのは、町山氏も指摘しているように、トランプが「どうすれば大衆受けするか?」という命題に対して、このWWEでの体験が大きな影響を与えたというところだろう。プロレスの観客は、中の下、有り体にいえばウダツの上がらない落ち目の白人男性である。共和党の党員集会も同様だ。要するにトランプはプロレスで学んだリングトークで、悪役レスラーをなじるのと同じ方法で共和党の主流派候補を攻撃し、罵倒し、大統領候補の座を手にいれたということだ。

さて、一方の民主党ヒラリー・クリントンに大統領候補が決まった。こちらも嫌われ者だが、トランプよりマシということで、本命だろう。トランプに勝機があるとすれば、テレビ討論会でプロレスラーの煽り絶叫で挑発し、クリントンから「感情的な態度」を引き出したときだろう。そのとき「あんなヒステリーに軍の最高司令官は務まらない」「核兵器のボタンを任せられるのか?」と畳み掛けることができたら・・・トランプ大統領がありえるかもしれない。

お役所ファンタジー

映像表現 外交

前回のエントリーの通り、シンゴジラを見た。その社会性ゆえに、映画以外のジャンルの批評がよく目に着く。

そのなかで、辻田 真佐憲氏が寄せた、『シン・ゴジラ』に覚えた“違和感”の正体〜繰り返し発露する日本人の「儚い願望」と題されたコラムがあった。辻田氏は、この中で政治家と官僚が覚醒することなどありえないと書く。

官僚機構という巨大な精密装置は、その構成要素の歯車がきちっとハマると、大きな成果を生み出す。その一方で、巨大で精密であるがゆえに、逸脱は許されず、従って不測の事態にあってもなお修正がきかない。映画の中では組織を逸脱した人々が集められたが、結局は組織化されてゴールに向かってまっしぐらに突き進む姿があった。逸脱者であっても、逃げず、さぼらず、イケイケドンドンになってしまうというのは、やはり「お役所ファンタジー」とでも呼ぶべきものなのかもしれない。

ある霞ヶ関の官僚はシンゴジラを見て「コピー機の部分が一番リアリティがあって興奮した」と語ったという。どのキャリア官僚にも駆け出し時代には、資料のコピーを大量に取る役回りを経験し、どこの場所に分速何枚のコピー機があるか頭に叩きこみ、徹夜して何万枚のコピーをとったという武勇伝をもっているものなのだそうだ。

映画を見て、コピー機という矮小事象に目が行くというこのエピソードは、辻田氏の指摘するところの官僚像とオーバーラップする。役人というのはそういうものらしい。

シンゴジラが描かなかったもの

映像表現

シンゴジラを見てきた。以下、ネタバレを含む。

 描かれていたもの

2011年3月11日から始まった、あの一連の出来事を暗喩していた。

謎の敵が攻め込んでくるのを、組織から弾かれたが一芸に秀でる寄せ集め集団で撃退するというモチーフは、「七人の侍」のオマージュともみえる。そして映画オタクでもある庵野監督が敬愛してやまない岡本喜八をシンゴジラを作り出した謎の博士として写真登場までさせている。そして岡本喜八の沖縄決戦のように、重大な出来事をテンポよく切り替え、テロップを多用、ゴジラ第一作のエッセンスもうまく取り入れていた。

東日本大震災を映像作品として再構成する・・・というより東日本大震災で実現できなかった大都市東京を破壊してみせるという庵野の野心はここに達せられた。

そして、もうひとつ。不測の事態に対して、福島原発事故でもあったように、右往左往する政府上層部の姿。会議ばかりで決断力に欠ける政治家、省庁間の縦割りに泥縛する上級官僚、「巨大不明生物特設災害対策本部」とかいうネーミング。核ミサイルを東京に打ち込んで始末しようとするアメリカからの最後通牒をつきつけられ、組織では使い物にならない役所内のオタク連中をあつめて、ゴジラ冷温停止に成功する。オタクファンタジーでもある。

描かれなかったもの

なにが良かったかといって、この手の映画にありがちな「恋愛」「家族愛」「人間愛」というような、チープな物語がバッサリと切り捨てられていたことだ。これによって、オタクファンタジーでありながら、シン・ゴジラは社会性を持つ作品になった。

そしてもうひとつ描かれなかったもの。それは東日本大震災での原発事故でヘドロのように足元にあり、原発事故を霧の中に押しとどめようとしていたあの組織体だ。東京電力東京電力のトップから足の先までを組織したサラリーマン集合体、決して積極的な行動はせず、互いの足を引っ張り合い、責任をなすり合い、評論家を気取るあの社畜とも比喩される不可解の群体が描かれていなかった。

端から東京電力(だけでなく日本のサラリーマン群体)を入れるつもりはなかったのかもしれない。官僚組織はでてきていたし、足も引っ張っていたが、あれでは足らない。もちろんそんなものを入れればストーリーは複雑化してつまらなくなっただろう。でも、あれを描いたものが見てみたかった。

Magic Leapの目論見

ビジネスモデル プロダクトデザイン

Oculus Liftが製品版を発表し、SonyはPSVRを、台湾のHTCがViveをそれぞれ出荷を始める。今年こそは、今度こそは、VRの立ち上げ元年になるのか、それともやはり3DTVと同じ道をたどるのか。後者の方になりそうな気もするが、問題はコンテンツがでそろうかどうかというところだろう。

ところで、VRというよりARのサービスを開発しているというMagic Leapというベンチャー企業を知った。GoogleQualcommなどが1000億円以上の投資を行っている。そしてその投資の額のわりに、ほとんど情報がでてこない、謎の企業だ。

Magic Leap

そのMagic Leapについて、Slide Shareで面白い予想を見つけた。

*Magic Leap製品予想(Slide Share)

この予想が当たっていると仮定すると、VRというよりARグラスになるようだ。MSのHololensに近い。Hololensよりもしかしたらすさまじいインパクトを残すことになるかもしれない。