無知と無能の間に

無知無能者、固人之所不免也

まだネパールで消耗してるの?

さて、弊ブログでは、宮﨑大輔氏とKei Kawakita氏の青年海外協力隊ブログを取り上げてきた。Kei Kawakita氏は自身のブログで、日本でのボランティアではなく、あえて青年海外協力隊に参加する理由について、以下のような戯言を述べている。以下、www.keikawakita.comより引用する。

海外でボランティアをする理由:海外に「助けたい人」がいるから

ボランティアは困ってる人を助けたいんじゃない。「助けたい人」が困っているからボランティアをするんだ。

としている。なるほど。さて、味わい深いのは、先に紹介した宮﨑のブログに対する感想として、Twitterで以下のようにつぶやいていることだ。

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「人の役に立ちたいなら青年海外協力隊にならないほうがいい」と述べている。この矛盾はどういうことだろう。また「青年海外協力隊で人の役に立とうとすると、頭がもげる」と書いている。どうことなのだろう。わからない。氏が青年海外協力隊になってから分かったということは、「頭がもげたくないから、人の役に立とうとすることはしない」「ネパールで活動していないよ。自分が悩むのは嫌だから」という事だろうか?

そして、Twitterでは以下のようなことも述べている。

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氏は自分が何を書いているのか認識できているのだろうか。「現地に課題がある→自分には解決できない→だからブログで発信する→力のある人に代わりに解決してもらう」。なるほど自分には問題解決する能力は無いけど、「Twitterフォロワー1Kレベル、月間PV10万の俺様が広く呼びかけてやるぜ」ということなんだろうか?

よろしい百歩譲って、「ブログで途上国の現状をブログ紹介」することは良しとしよう。しかし、解析結果からもわかるように、氏は「ネパールの現状」すらブログにほとんど書いていない。書いているのは「自己啓発本の紹介」やら「キングコング西野」のこと、そして何より「自分」だ。なぜこんな事が起こるかといえば、PV数を稼ぐにはネパールのことを書いても無駄だからだ。誰もネパールに関心など持っていないということをKei Kawakita氏は自ら認めているとも言える。

そして、先に氏はブログで「困っている人がいるからボランティアに参加した」と書いてあったが、この論はどのようすれば両立できるのだろうか。ネパール政府からJICAに現状をブログで紹介する隊員を派遣してくださいという依頼でKei氏はネパールに行ったのか。そんなわけはない、と推測する。もしそうだというのであれば「なんで、自分はネパールに派遣されてきているのか」それを明らかにしょうぜ。

「なるほど、あんたはもがいていて、くるしんでいて、それから逃げるために自己啓発本を鵜呑みにして心の安定を図っていて、しかも、そのことを大声でわめいている」。その一方で影では、「SEO対策マニュアルに従って、検索上位を手に入れ、PVを稼ぐ。巧妙に張り巡らせたアフィリエイトで収益を稼ぐ」ということをしている。批判があってから、直接アフィリエイトを貼るのは辞めたようだが、過去記事からはアフィリエイトリンクを削除していないし、協力隊活動で稼いだPVを今後利用する腹積もりなのだろう。

このように、KeiKawakita氏の主張は、内部に矛盾を抱え込んでいる。しかし、氏の中では、これは無矛盾である。なぜそんなデタラメができるのかといえば、自分の主張を支えるものが「自分の感覚」「自分の心地よさ」だからだ。これを二面性の持ち主、二枚舌、あるいはご都合主義と呼ぶ。「自分の感覚を判断基準にしている人物」によくある習性だ。覚えておこう。

「日本の収入×途上国生活」とは?

Twitterで書いているように氏は「ネットから小銭を稼いで、物価の安い途上国で暮らす」を実践しているのだ。しかも、協力隊に参加することで確信を持ったということだ。

しかし、ありきたりな現象でもある。生活コストを下げて、途上国で生活する奴らは、アフィリエイト収入をあてにするのはここ最近の傾向かもしれないが、貯金切り崩し、日本人向け現地ガイド、株やFXで稼ぐなど、古くからそのような連中がいる。論拠を示そう。例えば『日本を降りる若者たち』(著:下川裕治講談社現代新書)によると、2007年出版であるが「バンコクを中心にタイだけでも6000から7000人、アジア全体にひろげれば約1万人」が海外で「外こもり」を実践しているのだという。そもそも「タイ 沈没」とか「外こもり」とかで検索すれば、いまだに大量に情報は引き出せる。下川裕治は同著で以下のように「あとがき」を書いている。

南北格差は、地球規模の経済問題になって久しいが、いま、北に広まりある格差社会についていけない人々が、南の国々に救われていくという構図が生まれている気がする。厳しく不寛容な色合いを強める社会の中で歯をくいしばって生きるぐらいなら、南の国で節約しながら暮らしたほうが楽じゃ無いか……。北側社会で恵まれない日々をすごす人々は、南をそんなふうにとらえているのだ。

(中略)

僕はアジアを訪ね、人生を楽にして帰ってくるようなことを繰り返していたのだが、ふと気がつくと、アジアに一年の大半の期間、滞在する事を前提にした収入で生きる人々が出てきてしまっていた。僕にしたら、どこか足を掬われるような思いすらあった。そこに至る背景には、絵の具を上塗りしていくように、何回も味わった日本社会への嫌悪が潜んでいた。

10年前の話だが、Kei Kawakita氏、宮﨑大輔氏がやっていることの全てがここに描かれている。「自分」を選択して生きているつもりであっても、結局は井の中の蛙であり、型にはまっているということでもある。

弊ブログで何度か書いていることであるが、このような人間がいること事体は問題ではない。昔からいた。マクロで見て、増えているのであれば、社会システムの再点検は必要だとは考える。いやすでに問題化しているが、誰も気がつかないふりをしているだけかもしれない。

けれども、ゼロにすることは無理であり、KeiKawakita氏と宮﨑氏がそのような人生を選択肢たいのであればすればいい。ただ、協力隊隊員でなければ、ね。「青年海外協力隊を踏み台に使うな」ということだ。そして、青年海外協力隊にはこんな連中が、蛍光灯に集まる蛾みたいに引き寄せられてしまう欠陥があるということだ。それは、「途上国側からは連中のSNS発信に対して関与できない」「JICAが放任しているように見える」という問題点を連中は突いているのだ。

選択肢は2つ

無駄なことだと思いつつ提言をしてみる。さて、KeiKawakita氏が「偽りなき自分」「二面性でない自分」を示したければ、以下の2つのどちらかを選ぶべきである。

  • 協力隊を辞めて、日本に帰国して、途上国生活を自分の金でやる
  • SNSを辞めて、残りの期間、ネパールで全力を注ぐ

氏はどちらか選ぶべきだし、JICAもそのようの指導すべきではないのか?それとも第3の道、批判を無視しつつ、JICAから支給される生活費とか積立金を懐に入れつづけるのか?「氏が『なぜネパールにいるのか』をどのように考えているのか」は氏の今後の選択から見ることができるだろう。