無知と無能の間に

無知無能者、固人之所不免也

KeiKawakita氏とJiburi.comの協力隊ブログは読む価値がないと断言できる「たった一つの理由」:その5、「まとめ」そして、増殖する「自分探し2.0」

タイトルは釣りです。面倒なことです。

ブログ解析を改めて整理

宮﨑大輔氏とKei Kawakita氏のブログ解析について改めて整理する

  • 自分語り
  • PV至上主義によるブログの方向性の迷走
  • アフィリエイト等による収益化

増殖する協力隊ブロガー

KeiKawakita氏のブログ分析をのせたところ、コメント欄にお知らせがあった。ルワンダのブログも酷いよということであった。「1匹見つけたら10匹が隠れている」ゴキブリ理論で、薄々は承知していたが、すごいね。互いに褒めあって、拡散していくわけだ。増殖した背景には、「JIBURI.com」という成功モデルが登場したが要因の一つであろう。宮﨑氏は先行者利益を手にしたということだ。「おめでとう」と言っておこう。

JICAの見解は?

青年海外協力隊の派遣の目的は以下の3つが上げられている。

  • 開発途上国の経済・社会の発展、復興への寄与
  • 異文化社会における相互理解の深化と共生
  • ボランティア経験の社会還元

どう読めば「現役の隊員が日本語話者に向けて情報発信する」ことが目的として含まれると解釈できるのだろうか。「開発途上国の経済・社会の発展」で、日本から観光客を呼びこむために必要だというのであれば、「現地から要望があった」ということが必要になるはずだ。また「ボランティア経験の社会還元」がその根拠になっているということであれば、「ボランティア経験」をどう解釈するかという点になる。

ボランティア活動をどこまでという範囲にするかの線引きは難しい問題ではある。しかし「自分が読んだ本の紹介」「Amazonプライムで見た動画の紹介や感想」を現役の隊員が行なうことが可能という解釈は、難しいのではないか。この辺、私は法の知識が乏しいので、指摘という点に留めておく。もちろん、表現の自由や余暇活動の自由というのはあるだろうから、情報発信禁止までは出来ないだろう。でも、だ。途上国に来てやることなのか?

また問題なのはJICAの方針が「放置」としか読み取れないことだ。以前、ボリビアの隊員のブログを読んでいると「なんでブログをやっているのとJICA事務所から聞かれた」「JICAはブログを検閲している」等の話がでていた。その真異は判断できない。しかし今回しらべた連中のブログから「JICAからブログおよびSNSの情報発信のあり方についての指導等」の話は見つけられなかった。もしかしたら、やっているのかも知れないし、奴らが握りつぶしているのかもしれない。楽観的に過ぎるか。

もう1つ運営側で問題なのは、技術革新のスピードにルールがついていっていないということなのだろう。おそらく「ボランティア経験の社会還元」のもともとの意図は、青年海外協力隊の活動が終わって日本に帰国した後のことを想定したものだろう。ところが、途上国でも24時間365日、ネット接続ができ、画像や動画など大容量のものも対応できるようになってきたということでもある。そして、ブロガー協力隊員はそれを悪用している。

まとめ

国際貢献に限らなくても、ボランティア活動に参加しようと考える人間は、「自分は世の中の平均よりも優れているので、きっと役に立つはずだ」と盲信的に信じている。そう、信仰なのだ。

協力隊について知りたければ、こういう「自分語り」「自分探し」の自己陶酔した連中が確実に存在するということが分かるので、「国際貢献とはなにか」「自分にできることはなんなのか」を追求していくつもりの賢明なる協力隊員希望者は隊員生活では近づかないようにしましょう。賢明なる協力隊員希望者が実在するのか?という疑問も無くはない。

協力隊員とあの人と自分

改て表明いたしますが、私は宮﨑大輔氏、Kei Kawakita氏の両名を批判しているわけではない。だって批評に値するボランティア活動はしていないのだから。彼らの主張はもっぱら「他者の批判は受け付けず、自分の思った通りにブログを書く」とのことである。要するに、自分で全て閉じていて、自己満足であって、批判する値打ちのあることはしていないわけだ。

そもそも、宮﨑大輔氏やKei Kawakita氏は現象に過ぎない。どういうことか。自分に陶酔したい人間は以前よりいた訳で、ネットによって可視化されるようになったに過ぎない。協力隊員が途上国からもブログ更新できるようになったということは、途上国のネット接続環境も整備されてきたということでもある。

話を元に戻す。こういう類の連中は、これまでも存在していたし、「自分好き」の連中がボランティア活動に引き寄せられるのも致し方ない。であれば、社会として上手くパージする方法は考える必要がある。その意味では、社会不適格者の受け入れ先としての協力隊制度というのは機能しているのかもしれない。途上国にとっては迷惑であり、社会不適格者の一時受け入れ施設みたい使っている点は仕組みを変える必要があるかもしれない。

また、なんの力のない協力隊隊員が自分を振り回して、周囲を混乱させている分には、社会的な影響は限定されるので(派遣先の途上国にとっては厄介ではあるけれども)、自分たちの方から近づかなければOKだ。しかし、そのような人物が、理化学研究所再生医療研究のユニットリーダーになったり、現総理大臣の夫人となるとこれは、とても困ったことになる。

STAP細胞あります小保方晴子、そして宮﨑大輔やKei Kawakitaに代表される自己陶酔協力隊員の問題は、システムとして除外できる問題でもある。すごいセキュリティーホールではあったが。本来であれば、その職務にふさわしい人材であるか否かをフィルターがかかるはずなのである。JICAは「自分たちに火の粉がかからなければ、自己実現や自分探しOK」というスタンスだ。なぜなら、事業と組織の存続が目的だからだ。その点、小保方晴子は化け物であった。死者まで出たし。

そして、首相夫人という立場を徹底的に利用して自己実現に邁進している安倍昭恵だ。

『私』を生きる

安倍昭恵の自著は、タイトル「『私』を生きる」だ。恐ろしい。直球勝負だ。SEO対策のURLを使っている宮﨑氏や、ブログのタイトルをなんのひねりもなく丸パクリしていられるKei Kitakawa氏など足元にも及ばない。比較するのもおこがましいとは、このことだ。

次回以降は、安倍昭恵の著作物を読み込むことで、協力隊に参加してしまう種類の人間とポストモダンについて論じていきたい(うそ)。

※「ルワンダノオト」、「冷静と情熱のアイダ」は近日中に解析結果をあげる。