無知と無能の間に

無知無能者、固人之所不免也

青年海外協力隊、隊員の生態〜その3〜takaaky隊員の場合

タイトルは釣りです。本気にする人は居ないと思いますが念の為。

この人物のブログは先に紹介した佐古氏のブログで知った。彼とほぼ同時期にボリビアで活動してと思われる人物のブログ。なぜか2つのサイトを使い分けている(ブログ1ブログ2)。感想を先に述べておくと、「最低最悪」。

横溢する自己愛

個人の感想レベルを表に出すのは、相手の土俵と同じところに経つので、表明しない。しかし、だ。「バカ隊員」「アホ隊員」「ヤリマン隊員」「自分勝手」という徹底的な他者への攻撃。その一方で、自分への批判を一切受け付けない態度。JICA、調整員への強烈な批判。他の意見に対してにじみ出ている、「他人を見下して当然」「自己への正当化」という一貫した姿勢。そして強烈な自分への陶酔、横溢するナルシシズム、典型的な夜郎自大だ。

活動については底の浅い内容に終始し、うまく行かないことは全ての原因を外部化することで自己保身をはかる態度で貫かれている。「そういう奴もいる」なのかもしれないが、どうして。

思い出づくりのための二年間

氏のブログ「ある日の活動先での風景」から引用。

楽しい思い出をたくさん抱きながら、帰国したい。

・・・なんだそうだ。二年間の活動の総括が「楽しかった」という動詞で締めくくるという浅い内容とその知的レベルの低さ。「小学生低学年の感想」。それこそ「社会人の修学旅行」を楽しむために協力隊に参加したというのであれば、この知的水準であれば「夏休みの絵日記」がブログとして書かれるのも無理はない。

それでいて、「思い出づくり」で協力隊二年間を過ごした自分の立ち位置を絶対とし、それでいながら他のボランティアに対する激しい攻撃と非難、自尊心に対する奉仕への強要。活動に関する責任の外部化。なんなのだろうか、このダブルスタンダードぶりは。この乖離をどうやって埋めているのか。どうしたら自分をここまで特別な地位に置くことができるのか。そうしなければ小さい自分を維持できないからなのか。

やっぱり「協力隊を評論するための記述」

「協力隊評論家」という視点で記述されている点では、佐古氏のブログと同じだ。活動やボランティアに関して底の浅い記事(そもそもそんな記述はほとんどなかったが)。薄っぺらな観察。自分の感情に奉仕する記事の内容。そして同じく自分自身を賞賛するためだけに使われる「感謝」という言葉。なぜこうにも「人に感謝できる自分ってすごい」をアピールしたい人物が協力隊に多いのだろうか。佐古氏のブログとも通底するのが、「協力隊事業を評論」する態度(しかも、こちらは超攻撃的)。Takaaky氏は強烈に佐古氏を罵っている・・・というより小学生レベルの罵詈雑言だが、自分がブログを通してやりたいことを佐古氏と被っていることへ対抗心があるからなのだろうか。

このような、「自分が常識あふれる人間」で、それを「世間に見せつけて、賞賛を得たいと思っている」卑しい根性の持ち主はいる。ただ攻撃性・粘着性・独善性をブログで開陳している典型的な自己愛性パーソナリティ障害の症状を包み隠さず自分で書いているのは驚きである。ここまで自分が中心で、それ以外の視点がまるで無いというのも珍しい。「自分に酔ってる」状態が常態化しているからなのだろうか。

JICA批判と隊員批判

そして、JICAや他の協力隊員を罵倒する姿は・・・、コメントを控えたい。ただ、土下座を強要するモンスタークレーマーと同質の傾向が見て取れる。自身の欲求にのみ従い、それを阻害する要因を徹底的に攻撃する姿勢そのものだ。そして、モンスタークレーマーが「商品やサービスを手に入れる」という状況で「店員がなっていない」と暴言を吐く姿、「協力隊制度に賛成」しておきながら、「JICAのサービスが悪い」と悪態をつく姿が、同じ構造になっている。内容は以下のようなものだ。

  • 痛烈なJICA批判(モンスタークレーマー的)
  • 痛烈な隊員批判
  • 徹底的な自己肯定と他者否定のダブルスタンダード
  • 活動内容に関しては、少数で蛋白な内容
  • 協力隊に興味を持っている人物を想定読者として質問に応える形式の記述が目につく
  • 思い出づくりのための二年間の活動

おまけという名の愚痴

パーソナリティ障害の症例としては興味深い。ただ症例を見てみたい向き以外は避けたほうが良い。10代の子らがミックスチャンネルに恋人とキスしてる動画を恥ずかしげもなく、誇らしげにネットに上げる自意識は、10代の幼さゆえと擁護もできる。しかし40歳にならんとする人間(しかも途上国でボランティアしようとしている人間)がミックスチャンネルの10代と同レベルかそれ以下の精神構造というのはどういうことか。

ただ、ここまで典型的な自己愛性をもつ、しかも30代後半の人間が協力隊に参加するというのは一考すべきだろう。まるで闇夜の蛍光灯に引き寄せられる蛾のように。「自己への過信傾向がある人間がボランティアに出向く」という仮説の補強材として取り上げてみたものの、なんだか虚しいものがある。先に取り上げた佐古氏と、とても仲が悪かったようだ。同族嫌悪なのだろう。佐古氏のことを擁護するつもりもないのだが、このような人物と途上国の日本村で顔を突き合わせて過ごさなければいけなかった人たちは気の毒だ。

参考